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- 製造業120社と提携した試作品受託サービス。日本軽金属が運営。
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- 製造業120社と提携した試作品受託サービス。日本軽金属が運営。
- 概要
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- 事業所所在地
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- 事業部
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- 沿革
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- グループ企業
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- 諸問題
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- テレビコマーシャル
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- 脚注
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- 関連項目
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- 外部リンク
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概要
古河財閥と関わりが深く、古河グループの一員である。後にカナダの世界的アルミニウムメーカーであるアルキャン(現:リオ・ティント・アルキャン)と提携し、現在もアルキャングループのアジアでの拠点となっている。
富士川水系の静岡県内及び山梨県内合計6カ所に水力発電所を保有し自家発電を行っているため、電力価格の高騰により国内他社がアルミニウム製錬から撤退する中、価格競争力を維持し精錬事業の継続が可能となっている。山梨県南巨摩郡早川町には堤高80.5mを誇る雨畑ダム(アーチ式)を、山梨県南巨摩郡南部町に堤高40.5mを誇る柿元ダム(重力式)を有する。どちらも1960年代に竣工したため堆砂が進んでいる。また、静岡市の清水港にボーキサイト輸入用の岸壁を保有している。
東京証券取引所、大阪証券取引所の各一部に上場。東証には非鉄金属企業として最初に一部上場した。
1980年代にはアルミニウム市況の低迷により一時経営不振に陥るが、自社製品であるアルミニウムを活用した手動アイスクリーム製造機『どんびえ』や果実酒製造機『できごころ』といった家庭向けの製品が次々とヒットし、経営不振から立ち直ることとなった。
事業所所在地
本社・支社・支店
本社
東京都品川区東品川2-2-20(天王洲郵船ビル)
支社
大阪支社 - 大阪府大阪市中央区 (大阪市)/中央区高麗橋4-1-1
名古屋支店 - 愛知県名古屋市中区 (名古屋市)/中区錦1-19-24
支店
富士支店 - 静岡県富士市南町8-52
北九州支店 - 福岡県北九州市小倉北区浅野2-11-15
製造拠点
苫小牧製造所 - 北海道苫小牧市晴海町43-3
船橋工場 - 千葉県船橋市習志野4-12-2
蒲原製造所 - 静岡県静岡市清水区蒲原161
蒲原電解・鋳造工場
蒲原電極箔工場
蒲原熱交製品工場
蒲原ケミカル工場
清水工場 - 静岡県静岡市清水区三保4025-1
名古屋工場 - 愛知県稲沢市小池1-11-1
File:Nippon Light Metal Kambara complex 1988.jpg/蒲原製造所[(1988年度撮影)]
File:Nippon Light Metal Shimizu plant 1983.jpg/清水工場[(1983年度撮影)]
研究所
グループ技術研究センター
静岡県静岡市清水区蒲原1-34-1
事業部
化成品事業部
板事業部
軽圧加工事業統括本部
熱交事業部
メタル合金事業部
素形材事業部
電極箔事業部
景観事業部
沿革
1939年(昭和14年)3月30日 - 日本軽金属株式会社設立。
1940年(昭和15年)5月 - 特殊軽合金稲沢工場(現在の名古屋工場)操業開始。
1940年(昭和15年)10月 - 蒲原工場(現在の蒲原電解・鋳造工場)操業開始。
1941年(昭和16年) - (旧)新潟工場操業開始。
1941年(昭和16年)9月 - 清水工場操業開始。
1949年(昭和24年)5月 - 東京証券取引所などに株式上場。
1958年(昭和33年) - 清水工場の化成品部門を日軽化工株式会社として分社化。
1961年(昭和36年)4月 - 株式会社日本軽金属総合研究所(後の日軽技研)を設立。
1963年(昭和38年)10月 - 日本フルハーフ/日本フルハーフ株式会社設立。
1964年(昭和39年)4月 - 日軽アルミ船橋工場操業開始。
1965年(昭和40年)2月 - アルミニウム線材/アルミニウム線材株式会社を設立。
1969年(昭和44年)10月 - 苫小牧電解工場操業開始。
1970年(昭和45年)4月 - 幸田工場操業開始。
1970年(昭和45年) - 大阪アルミ(後の日軽アルミ)滋賀工場操業開始。
1972年(昭和47年) - 苫小牧アルミナ工場操業開始。
1973年(昭和48年)4月 - 関西アルミ合金(後の大信軽金属)三重工場操業開始。
1974年(昭和49年)10月 - 日軽アルミ株式会社を吸収合併、船橋工場・滋賀工場継承。
1978年(昭和53年) - 大信軽金属静岡工場(後の蒲原合金工場)操業開始。
1978年(昭和53年)10月 - 日軽圧延株式会社を吸収合併。
1980年(昭和55年)12月 - (旧)新潟工場操業停止。工場跡地は新潟県庁。
1982年(昭和57年) - 蒲原鋳鍛工場(後の蒲原ホイール工場)操業開始。
1982年(昭和57年)4月 - (新)新潟工場操業開始。
1982年(昭和57年)6月 - 日軽苫小牧株式会社を設立、苫小牧製造所の電解部門を除く事業を譲渡。
1983年(昭和58年) - 電算材システム部門を日軽情報システム/日軽情報システム株式会社として分社化。
1984年(昭和59年)2月 - グループの建材事業を統合し、新日軽/新日軽株式会社を設立。
1985年(昭和60年) - MD苫小牧工場操業開始。
1985年(昭和60年)4月 - 苫小牧電解工場操業停止。ニッカル押出株式会社を吸収合併、蒲原押出工場を継承。
1986年(昭和61年) - 苫小牧アルミナ工場操業停止。
1986年(昭和61年) - 冷熱事業システム営業部を日軽冷熱株式会社として分社化。
1986年(昭和61年) - 蒲原電極箔工場操業開始。
1988年(昭和63年)5月 - 蒲原熱交製品工場操業開始。
1989年(平成元年)4月 - 日軽化工・日軽苫小牧を吸収合併。
1990年(平成2年) - 佐賀工場操業開始。
1991年(平成3年)4月 - 大信軽金属株式会社を吸収合併、蒲原合金工場・三重工場を継承。
1993年(平成5年) - 日軽冷熱を合併、パネルシステム事業部発足。
1995年(平成7年) - 株式会社日軽技研を合併、グループ技術センター発足。
1996年(平成8年)10月 - 船橋工場の建材部門を新日軽に譲渡。
1997年(平成9年) - 蒲原ホイール工場操業停止。
1999年(平成11年) - 蒲原合金工場操業停止。
1999年(平成11年)10月 - (旧)東洋アルミニウム株式会社を合併、東洋アルミ事業部発足。
2000年(平成12年) - MD苫小牧工場操業停止、メモリーディスク基盤事業部廃止。
2000年(平成12年)8月 - 景観エンジニアリング事業部を住軽日軽エンジニアリング/住軽日軽エンジニアリング株式会社として分社化。
2002年(平成14年)10月 - パネルシステム事業部(滋賀工場・佐賀工場・苫小牧パネル工場・船橋分工場)を日軽パネルシステム/日軽パネルシステム株式会社、押出・軽圧加工事業部(蒲原押出工場・新潟工場押出部門)を日軽金アクト/日軽金アクト株式会社、(新)新潟工場を日軽新潟/日軽新潟株式会社として分社化。東洋アルミ事業部を(新)東洋アルミニウム株式会社に統合し廃止。
2007年(平成19年)4月 - アルミニウム合金事業(幸田工場・三重工場)を日軽エムシーアルミ/日軽エムシーアルミ株式会社に譲渡。
2009年(平成21年)6月 - 札幌証券取引所、名古屋証券取引所、福岡証券取引所上場廃止。
2009年(平成21年)7月 - 新日軽の(グループ会社保有分も含めた)全株式を、住生活グループに譲渡すると発表。
2010年(平成22年)4月 - 新日軽の全株式を住生活グループに譲渡。
グループ企業
アルミニウム関連の子会社を多く擁する。
'''アルミナ・化成品、地金関係'''
アルミニウム線材/アルミニウム線材株式会社
近畿研磨材工業株式会社
静岡興産株式会社
玉井商船/玉井商船株式会社
デーケーファイン/株式会社デーケーファイン
日軽エムシーアルミ/日軽エムシーアルミ株式会社
'''板、押出製品関係'''
株式会社名古屋アルミセンター
日軽金アクト/日軽金アクト株式会社
日軽稲沢株式会社
日軽蒲原株式会社
日軽形材/日軽形材株式会社
日軽テクノキャスト
日軽新潟/日軽新潟株式会社
日軽メタル/日軽メタル株式会社
'''加工製品、関連事業関係'''
エヌ・エル・エム・エカル/株式会社エヌ・エル・エム・エカル
エヌケイエス株式会社
エヌティーシー/株式会社エヌティーシー
住軽日軽エンジニアリング/株式会社住軽日軽エンジニアリング
東海アルミ箔/東海アルミ箔株式会社
株式会社東邦アーステック
東洋アルミニウム/東洋アルミニウム株式会社
株式会社ニッカン
日軽産業/日軽産業株式会社
日軽情報システム/日軽情報システム株式会社
日軽熱交/日軽熱交株式会社
日軽ニュービジネス/日軽ニュービジネス株式会社
日軽パネルシステム/日軽パネルシステム株式会社
日軽物流/日軽物流株式会社
日軽北海道株式会社
日本電極株式会社
日本フルハーフ/日本フルハーフ株式会社
不二貿易/不二貿易株式会社
日軽松尾/日軽松尾株式会社
'''建材製品関係'''
理研軽金属工業/理研軽金属工業株式会社
以前にはアルミ家庭用品(鍋、やかん/ケットル、脚立など)部門として、株式会社日軽プロダクツがあったが、需要の低迷等に太刀打ちできず2005年(平成17年)に解散した。
諸問題
1955年(昭和30年)に日本軽金属清水工場から産業廃棄物として排出されたヒ素/砒素を含む第二燐酸ソーダが転売され、森永乳業徳島工場が乳質安定剤として使用してしまったため、缶入り粉ミルク「森永ドライミルク」を飲んだ1万数千名もの乳児が大量にヒ素中毒になり、死亡者も出た食中毒事件(森永ヒ素ミルク中毒事件)が発生した。なお現在も、脳性麻痺、知的発達障害、てんかん、脳波異常、精神障害等の重複障害に苦しんでいる被害者が多い。
テレビコマーシャル
『歌のワイド90分!』(日本テレビ放送網/日本テレビ系)の放送開始以来、長い間日本テレビ・水曜日夜8時台のレギュラースポンサーとして活動していたが、1992年(平成4年)3月に降板(降板当時はクイズ世界はSHOWbyショーバイ!!)、一時撤退している。年に一度『富士登山駅伝』(テレビ静岡制作、フジテレビジョン/フジテレビ系)の提供も行っている。
脚注
関連項目
天王洲アイル
民間企業所有ダム(雨畑ダム・柿元ダム)
日本軽金属サッカー部
荒川水力電気
小林一三-初代社長
田邊七六