歴史
1917年(大正6年)5月、
日本海軍/海軍機関大尉
中島知久平によって
尾島町/群馬県新田郡尾島町(現
群馬県太田市)に設立された民営の'''飛行機研究所'''を前身とし、
太平洋戦争終戦後、
連合国軍最高司令官総司令部/GHQにより
財閥解体の対象となった「
中島飛行機」(
1945年(昭和20年)に富士産業と改称)が、富士重工業のルーツである。
軍需から平和産業への転換、スクーターやバスなどの輸送用機器開発、企業分割などを経て、旧中島系の主要企業の共同により
1953年(昭和28年)に富士重工業を設立、
1955年(昭和30年)に参画各社が富士重工業に合併されることで企業としての再合同を果たした。
1958年(昭和33年)発売の
軽自動車/軽乗用車「
スバル・360」と、その派生型である
1961年(昭和36年)発売の軽商用車「
スバル・サンバー」が技術的・商業的に大きな成功を収めたことで、以後「スバル」ブランドの自動車メーカーとしての地位を確立し、その他の分野にも多角的に進出しながら現在に至っている。
富士重工業の誕生まで
=
中島飛行機
=
ファイル:Ki-27 1.jpg/thumb/right/200px/中島 九七式戦闘機
ファイル:Ki-84-1.jpg/thumb/right/200px/中島 四式戦闘機「疾風」
「
中島飛行機」は、民間機の開発も行ったが、主として太平洋戦争までの陸海軍用機の需要に応え、軍用機およびそのエンジン開発に取り組んだメーカーである。特に
1937年(昭和12年)に勃発した
日中戦争以降、終戦までに陸軍
九七式戦闘機、
一式戦闘機/一式戦闘機「隼」、
二式単座戦闘機/二式戦闘機「鍾馗(しょうき)」、
四式戦闘機/四式戦闘機「疾風(はやて)」[終戦後、アメリカ合衆国/アメリカに接収されて、140オクタン価/オクタンの高品質な燃料を使用しての綿密なテストの結果、アメリカをして「第二次大戦の日本戦闘機のベストワン」と絶賛させた。]、
彩雲 (航空機)/海軍艦上偵察機「彩雲」[高速偵察機として知られ、偵察後、追撃してきたF6F (航空機)/グラマン・F6F・ヘルキャットを振り切り帰還、「我に追いつくグラマン無し」と打電したという逸話を持つ。]など多数の著名な軍用機を送り出した。エンジンメーカーとしては、「隼」や
零式艦上戦闘機/零式艦上戦闘機(零戦)に搭載された1000馬力級の「
栄 (エンジン)/榮」エンジン、大戦後期の「疾風」や
紫電改/局地戦闘機「紫電改」に搭載された「
誉 (エンジン)/誉」エンジンなどの航空機用発動機を開発。
三菱重工業、
川崎重工業/川崎航空機と並び、航空機製造会社として日本最大規模の存在であった。
=
企業解体と平和産業への転進
=
日本の敗戦とともに、GHQより航空機の研究・製造の一切が禁止され、中島飛行機は新たに「
富士産業[「富士」は「富士山」に由来する。中島飛行機の創立者である中島知久平は、日本を代表する名山である富士山をこよなく愛した。]」と改称された。戦時中、最先端の航空機開発に取り組んだ優秀な技術者たちの生活は、各工場毎に、自転車、リヤカー、自動車修理、果ては鍋や釜、衣類箱、乳母車などを作って糊口を凌ぐ日々へと一変した。
このような状況の中、太田と三鷹工場の技術者たちは、当時
進駐軍の兵士たちが移動に利用していたアメリカ製の簡易な
スクーター「
パウエル自動車/パウエル」に着目する。軽便な移動手段としての販路を見込めると考えられたことからスクーターの国産化が計画され、早速、敗戦後も残っていた
銀河 (航空機)/陸上爆撃機「銀河」の尾輪をタイヤに利用して試作、
1947年(昭和22年)に「
ラビットスクーター」として発売した。「ラビット」は運転が簡易で扱いやすかったことから、戦後日本の混乱期において市場の人気を博し、メーカーの屋台骨を支える重要な商品となった。「ラビット」シリーズのスクーターは、モデルチェンジを繰り返しつつ富士重工業成立後の
1968年(昭和43年)まで生産された。
また航空機製造で培った板金・木工技術を活用し、
1946年(昭和21年)から
バス (車両)/バスボディ架装にも進出、特に従前の「
ボンネットバス」より床面積を大きく取れるキャブオーバー型ボディの架装で、輸送力不足に悩むバス会社から人気を得た。さらに
1949年(昭和24年)にはアメリカ製
リアエンジンバスに倣い、得意の航空機製造技術を生かした、日本初の
モノコックボディ・リアエンジンバス「ふじ号」が完成。フロントエンジン型キャブオーバーバスより更にスペース効率に優れることから成功を収め、以降、日本のバスボディ・シャーシの主流は続々とリアエンジンへ移行していく。
このようにして平和産業へ転進した
富士産業であったが、
1950年(昭和25年)8月、当時の政策によって
財閥解体の対象となり、工場毎に15社以上に分割されてしまった。
=
富士重工業成立
=
1950年(昭和25年)6月に勃発した
朝鮮戦争は、戦後不況にあえぐ日本に「朝鮮特需」をもたらしただけでなく、GHQの日本の占領政策を一変させた。
1952年(昭和27年)4月、
サンフランシスコ講和条約が発行すると、旧・財閥から民間賠償用としてGHQに接収されていた土地・建物の所有者に返還がはじまり、富士工業(
太田市/太田、
三鷹市/三鷹工場)、富士自動車工業(
伊勢崎市/伊勢崎工場)を中心とした旧・中島飛行機グループ内での再合同の動きがにわかに活発化、
1952年(昭和27年)12月、大宮富士工業(
大宮市/大宮工場)、東京富士産業(旧・中島飛行機・本社)を加えた4社が合併同意文書に調印した。
同じ頃、
1953年(昭和28年)の
保安庁(現
防衛省)予算に練習機調達予算が計上され、航空機生産再開に向けて、
アメリカ合衆国/アメリカ・「
ビーチクラフト/ビーチ・エアクラフト・
T-34 (航空機)/T-34 メンター」の製造ライセンス獲得に国内航空機メーカー各社は一斉に動き出した。当時、再合同の途上にあった旧・中島飛行機グループも再合同の動きを加速。
1953年(昭和28年)5月には、鉄道車両メーカーとなっていた宇都宮車輛(
宇都宮市/宇都宮工場)が新たに再合同に参加することが決まり、
1953年(昭和28年)
7月15日、5社出資による航空機生産を事業目的とする新会社「富士重工業株式会社」が発足
[本社は東京都新宿区角筈(現富士重工業本社・スバルビル所在地)である]。
1954年(昭和29年)9月、6社が合併契約書に調印。
1955年(昭和30年)4月1日、富士重工業は、富士工業、富士自動車工業、大宮富士工業、宇都宮車輛、東京富士産業の5社を吸収し、正式に「富士重工業株式会社」としてスタートした(当時の資本金8億3050万円、従業員5643名)
旧・中島飛行機の発動機開発の拠点だった
荻窪 (杉並区)/荻窪工場と浜松工場を引き継いだ
プリンス自動車工業/富士精密工業は、中島飛行機再合同の動きが本格化した
1952年(昭和27年)には、事実上、すでに
タイヤメーカーの
ブリヂストンの資本下
[当時、ブリヂストン会長でもあった石橋正二郎個人が筆頭株主の会社(つまり、厳密にはブリヂストンの資本系列ではなかったが、銀行は事実上のブリヂストン支配の会社と認定していた)となっていた。]に入っており、再合同には参加しなかった
[1954年(昭和29年)、戦前の立川飛行機の転進で、同じくブリヂストン傘下にあったプリンス自動車工業と合併、富士精密工業としてスタートした後、1961年(昭和36年)、プリンス自動車工業と名称を変更、日産・スカイライン/スカイライン、日産・グロリア/グロリア、皇室御料車プリンスロイヤルなどを開発。1966年(昭和41年)、日産自動車に吸収合併された。]。
また、この時再合同に加わらなかった、富士機械工業(現
マキタ沼津)など3社も、のちに富士重工業の関連会社として加わっている。
富士重工は、
1966年(昭和41年)に東邦化学株式会社と合併し、存続会社を東邦化学株式会社とした。この存続会社の東邦化学株式会社は
1965年(昭和40年)に商号を富士重工業株式会社と改めた上で合併しているため、一貫して継続した同一名称ではあるが、法律的には従来の富士重工業は
1965年(昭和40年)に一旦消滅している。これは株式額面金額変更が目的の事務的なものである
[[http://www4.atwiki.jp/sysd/pages/1513.html企業情報@Wiki 富士重工業]。
その後の推移と業務提携
スバル・レオーネ/レオーネを発売した1970年代初頭から、本格的な
アメリカ合衆国/アメリカ市場への進出を開始。
オイルショックや
排気ガス規制などの消費者の自動車に対する要求の変化や、当時の
円安を背景とした廉価性を武器に、国産他メーカーと同じくアメリカ市場での販売台数を飛躍的に伸ばすことに成功した。
1968年(昭和43年)から
1999年(平成11年)まではメインバンク(
日本興業銀行/現
みずほコーポレート銀行)が同じ
日産自動車と提携、
日産・チェリー、
日産・パルサー/パルサー、
日産・サニー/サニーなどの委託生産を請負い、工場稼働率のアップを図っていたが、設計の共同化や部品の共用化などが本格的に行われることはなかった。
1970年代中盤からは、
南アメリカ/南米、
オーストラリアを中心とした
アジア・
オセアニア地方、
中東、
ヨーロッパなどにも進出。1970年代以前には年産10万台にはるかに満たなかった生産台数を、1970年代後半には20万台規模にまで増やし順調に企業規模を拡大した。
しかし、
1985年(昭和60年)
9月の
プラザ合意以降の急激な
円高とアメリカ市場との「共生」が求められるようになった時代背景の中で、北米市場での深刻な販売不振に直面。
1987年(昭和62年)、
いすゞ自動車との共同出資で、
スバル・オブ・インディアナ・オートモーティブ/スバル・イスズ・オートモーティブ (SIA)を設立して現地生産も開始した
[OEMによる完成車の相互供給も行なわれたが、2003年(平成15年)にいすゞのSIAからの撤退をもって関係を解消している。]が、主に魅力的な車種展開が図れなかったことや、企業規模から他国産メーカーと比べ製造コストを劇的に下げることができなかったことなどから、
1989年には300億円もの営業赤字を抱え、深刻な経営危機が報じられるまでになった。
しかし、折からの「
バブル景気」によって資金調達のめどが順調に立ったことや、
1989年1月、
スバル・レガシィ/レガシィの発売以来、順調に国内市場、北米市場での販売を回復することに成功。
1990年(平成2年)には
UDトラックス/UDトラックス(旧日産ディーゼル)の経営再建に手腕を発揮した川合勇のもとで地道なコスト削減努力が続けられ、
世界ラリー選手権/WRCへの出場など、CI(コーポレーテッド・イメージ)の積極的な訴求効果とあわせ、年産30万台規模の世界的に見て比較的小規模なマスプロダクツ・メーカーとして現在に至っている。
バブル崩壊後、日産自動車が経営不振に陥り、経営再建の一環として日産自動車保有の富士重工業株の売却を決め、
2000年(平成12年)に放出株全てが
ゼネラルモータース (GM) に売却された
[GM傘下在籍中には、同傘下のサーブ・オートモービル/SAABにインプレッサ・スポーツワゴンのOEM車種サーブ9-2Xを提供したり、GMのタイ工場からオペル車のOEMであるスバル・トラヴィック/トラヴィックなどの供給を受けていた。また2003年(平成15年)から開発がスタートした「B9トライベッカ」ではサーブ版を最初からサーブ側と共同開発する計画だった。]。
しかし、GMの業績悪化に伴い
2005年(平成17年)
10月5日には、GMが保有する富士重工株20%をすべて放出。放出株のうち8.7%を
トヨタ自動車が買い取って筆頭株主となり、富士重工業とトヨタ自動車が提携することで合意した。GMグループの
スズキ (企業)/スズキと、
軽自動車の部品の共通化などをすすめてきていたが、今後、トヨタ自動車および
トヨタグループ(トヨタ傘下)の
ダイハツ工業との開発部門の交流や部品共通化によるコスト削減効果が期待される。
2008年(平成20年)4月10日、軽自動車の自社開発・生産を行わない方針を発表。
2012年(平成24年)2月を以って軽自動車の生産を終了した。今後登場する新型の軽自動車は全てダイハツからのOEM車として供給される予定である。
2010年(平成22年)8月、現在の東京都新宿区にある本社ビル(新宿スバルビル)が老朽化したことなどに伴い、建物を
小田急電鉄に売却した上で本社機能を
2014年に東京都
渋谷区恵比寿 (渋谷区)/恵比寿へ移転させることを発表した。
航空機再生産
ファイル:Beech_T-34C_Turbo_Mentor_-_GPN-2000-001989.jpg/thumb/right/200px/T-34 メンター
ファイル:T-1B.JPG/thumb/right/200px/富士 T-1
1953年(昭和28年)9月、富士重工業は「
ビーチクラフト/ビーチ・エアクラフト」と「
T-34 (航空機)/T-34 メンター」製造ライセンス契約に調印。
1955年(昭和30年)10月、国産1号機を完成させ、防衛庁への納入が始まった。
さらに
1957年(昭和32年)11月、戦後初の国産ジェット機「T-1 練習機(初鷹)」の開発に成功。中等練習機として
1963年(昭和38年)までに66機を
防衛庁(現
防衛省)に納入した。
1965年(昭和40年)8月、民間向け軽飛行機
FA-200/FA-200「エアロスバル」の初飛行に成功。翌
1966年(昭和41年)10月から販売を開始。低翼式の機体を採用したFA-200は低速時の安定性に優れ、アクロバット飛行なども可能な万能機として好評を博し、298機を生産した。
戦後初の国産旅客機「
YS-11」の開発にも参加。
主翼桁と
尾翼を担当。この経験はのちに、
1973年(昭和48年)12月、
アメリカ合衆国/アメリカ・
ボーイング/ボーイング社と
ボーイング747の生産分担契約に実を結び、
1974年(昭和49年)には新世代旅客機
ボーイング767の国際共同開発プロジェクトに参加。国際分業に大きな役割を果たした。
1974年(昭和49年)、富士重工業は
アメリカ合衆国/アメリカ・
ロックウェル・インターナショナル社と双発ビジネス機、
FA-300の共同開発を開始。
1975年(昭和50年)11月に初飛行に成功、
1977年(昭和52年)から販売を開始した。しかし、その後、ロックウェル社が軽飛行機部門からの撤退したため、計画が頓挫。42機の生産実績に留まった。
スバル自動車部門
「
スバル (''SUBARU'')」
生産拠点
スバル自動車部門
航空宇宙部門
宇都宮製作所(
栃木県宇都宮市)
宇都宮製作所半田工場(
愛知県半田市)
産業機器部門
埼玉製作所(
埼玉県北本市)
環境技術部門
エコ宇都宮工場(
栃木県宇都宮市)
塵芥収集車・
フジマイティーを生産。業界ではトップシェアを誇る。
住宅事業部門
伊勢崎事業所(
群馬県伊勢崎市)
航空宇宙部門
日本航空業界の草分けである中島飛行機の後身で、現在も日本の航空宇宙業界で第三位であり、小型練習機やボーイング社向け分担生産を中心としているが、
日本興業銀行が株主となり、役員を派遣して経営陣を占めるようになると、冒険的な航空宇宙事業への理解は低くなり、T-1の後継機である
T-4 (練習機)/T-4の受注競争に敗れると決定的になった。
三菱重工業や
川崎重工業、
IHIなどと違い、現在の自社
ウェブサイトには航空事業の詳しい項目が無い。
US-1/US-1A改開発の際、防衛庁関連で汚職事件を起こしたことも、社名に傷を残すこととなった。一方、主翼など翼部製造の優秀さについては、
ボーイングからも表彰されているほか、国内開発でも貢献している。複合材製品については世界屈指の技術力を持つ。
YS-11開発参加や
FA-200販売で国産機の実績を積んだものの、日米共同で開発した
FA-300が大失敗した為、民間機の自主制作からは手を引いていたが、
21世紀に入ってから三菱や川崎が独自の旅客機計画を進め、また、経営陣も富士重工業の生え抜き社員が多くなってきたことから航空機事業に前向きになったこともあり、10 - 15席程度の小型民間旅客機の開発計画を発表し、実現が期待されている。また、日本国外の企業とも共同開発を行っている。
沿革
1958年(昭和33年)
1月16日 -
第二次世界大戦後日本初のジェット機
T-1 (練習機)/T-1練習機を開発し初飛行に成功する。
1978年(昭和53年)
1月17日 -
T-3 (練習機)/T-3練習機が初飛行。3月から量産機が納入された。生産機数は50機。
1987年(昭和62年)
4月27日 -
T-5 (練習機)/T-5練習機が初飛行。
主力であった航空機製造から
ベルエアクラフトとの
ライセンス契約による
ヘリコプター/ヘリコプタ製造(
UH-1 (航空機)/UH-1と
AH-1 コブラ/AH-1)へと傾き、長年低迷していたが、富士重工業初の生え抜き社長であった竹中恭二(前社長)体制時の中期経営計画FDR-1により航空機製造を中心として息を吹き返し[http://www.jqa.jp/service_list/management/jisq9100.html JIS-Q-9100制定にあたり中心的役割を果たした。
1994年(平成6年)
4月9日、
ボーイング777の1号機がロールアウト。「世界最大の双発旅客機」の開発・製造に参加し中央翼を分担する。
2002年(平成14年)
7月9日 - T-3改が初飛行。
2003年(平成15年)4月に
T-7 (練習機)/T-7練習機として制式採用された。
2002年(平成14年)6月 -
エアバスA380に参加。垂直尾翼前縁・翼端、フェアリングを分担する。
2005年(平成17年)に開発が決定した
ボーイング787の開発にも参加している(詳しくは
YX共同開発を参照)。
2008年(平成20年)から、
MRJ(三菱リージョナルジェット)の設計のために技術者4名が出向している。
納入実績
=
防衛省(自衛隊)向
=
T-1 (練習機)/T-1A/B中等練習機
J/AQM-1 無人標的機
遠隔操縦観測システム/遠隔操縦観測システム FFOS
フライトシミュレーション/航空機用シミュレータ
ライセンス生産
T-34 メンター/T-34A練習機(
ビーチクラフト)
LM-1/LM-1/2多座席連絡機(国内開発)
KM-2/KM-2練習機・TL-1練習連絡機(国内開発)
T-3 (練習機)/T-3初等練習機(国内開発)
T-5 (練習機)/T-5初等練習機(国内開発)
T-7 (練習機)/T-7初等練習機(国内開発)
UH-1 (航空機)/UH-1B/H/J 多用途ヘリコプタ(
ベルエアクラフト)
AH-1 コブラ/AH-1S対戦車ヘリコプター(ベルエアクラフト)
AH-64D アパッチ・ロングボウ/AH-64D戦闘ヘリコプター(
ボーイング)
パトリオットミサイル/ペトリオット中距離地対空誘導弾用アンテナマストグループ(
レイセオン)
分担生産
F-2 (航空機)/F-2戦闘機(主翼・尾翼等)
T-4 (練習機)/T-4中等練習機(主翼・尾翼・
キャノピー/キャノピィ)
OH-1/OH-1小型観測ヘリコプタ(尾翼・キャノピィ等)
US-1/US-1A救難飛行艇(主翼外翼・
ナセル (曖昧さ回避)/ナセル・尾翼)等
P-3 (航空機)/P-3C対潜哨戒機(主翼ライセンス生産)
U-125 (航空機)/U-125A救難捜索機(装備品取り付け・納入前整備)等
=
民間向
=
自社開発
FA-200/FA-200 エアロスバル
FA-300(富士710、ロックウェル・インターナショナル社と共同開発)
ドライビング・シミュレータ
遠隔操縦観測システム/RPH-2 無人ヘリコプター
分担生産
ボーイング737(
昇降舵)
ボーイング747(
補助翼、
スポイラー (航空機)/スポイラー)
ボーイング757(アウトボード
翼高揚力装置/フラップ)
ボーイング767(
YX共同開発、主脚扉・翼胴フェアリング)
ボーイング777(共同開発、中央翼・主脚扉・翼胴フェアリング)
ボーイング787/ボーイング787 ドリームライナー(共同開発、中央翼)
エアバスA380(垂直尾翼構造)
ホーカー ホライゾン M4000(主翼構造およびシステム開発)
ベルエアクラフト/ベル・
アグスタウェストランド BA609 (航空機)/BA609 ティルトローター機(胴体構造開発)
エクリプス (航空機メーカー)/エクリプス・アビエーション エクリプス 500(主翼)
ボンバルディアデ・ハビランド・カナダ DHC-8/DASH-8
ライセンス生産
UH-1 (航空機)/204B 中型物輸ヘリコプタ(
ベルエアクラフト)
205B 中型物輸ヘリコプタ(ライセンスを受けて独自改良)
=
宇宙関連機器
=
H-IIAロケット
ピギーバック衛星
テレジット(人工衛星)
産業機器
「ロビン」ブランドの小型汎用エンジンを開発・生産し、汎用エンジン業界ではシェア世界第4位。富士重工業内では唯一、米国と中国に生産拠点を持っている。
これらのエンジンは取り扱いの容易さと抜群の耐久性などで、主に土木工事現場で使われる
ランマーや
発電機、コンクリートカッター、灌漑用の
ポンプ、構内作業車(
モートラック)などに動力源として搭載される。
また、
ゴルフカート、
スノーモービル、
全地形対応車/ATV(バギー車)、などに搭載されるエンジンも開発、生産している。これらのエンジンのほとんどは
OEM供給されているため、一般人の目に触れる機会はほとんど無い。
ロビンエンジン
EY15(汎用)
EY20(汎用)
EX17(汎用)
EX30(汎用)
EH29(ゴルフカート用)
EH50(ATV用)
ES50(ATV用)
EC55(スノーモービル用)
ロビンジェネレーター
スバル・ナイター(
投光機)
電動刈払い機
スノーモービル
モータースポーツへの取り組み
1990年(平成2年)より
世界ラリー選手権/世界ラリー選手権 (WRC) に参戦。三度マニュファクチャラーズタイトルを獲得するなど積極的に活動を行った。
スバルのラリーカーといえば
スバル・インプレッサ/インプレッサの印象が強いが、元々は当時発売間もない
スバル・レガシィ/レガシィの促販のための参戦であった。
1992年(平成4年)頃に一時撤退の方向に向かったこともあったが、WRC参戦が社員のモチベーション上昇に繋がっていたこと、それまでの数年間で良い結果を残しており日本国外からも注目されていたこと、競技車両も完成していたことなどもあり、当時の社長である長川合勇の判断により参戦を継続した。その後
1995年(平成7年)から
1997年(平成9年)まで三年連続でマニュファクチャラーズ部門優勝、ドライバー部門では
1995年(平成7年)の
コリン・マクレー、
2001年(平成13年)の
リチャード・バーンズ、
2003年(平成15年)の
ペター・ソルベルグと三度優勝を果たした。近年は優勝からは遠ざかっており、
2008年(平成20年)を最後にワークスとしてのWRC参戦を終了。ラリーはスバルの起爆剤であっただけに、現社長の森郁夫も撤退を'''「苦渋の決断」'''と述べた
[WRC撤退の理由は経済不況が直接的な原因ではなく、2008年(平成20年)1月の段階で『今年、優勝できなければWRCより撤退する』と社内では発表されていた(2010年(平成22年)からWRCの車両規定が新規定に移行することも理由であると言われている)。]。
その他WRC以外では
フォーミュラ1/F1[1990年(平成2年)、モトーリ・モデルニが開発した水平対向12気筒エンジンをモディファイし、コローニを買収する形で参戦。1度も予備予選を通過することなく、第8戦イギリスグランプリ/イギリスGPを以って撤退した。]、
:en:Rally America/ラリーアメリカ(現在もSubaru Rally Team USAが活躍中)、
SUPER GT(GT300に参戦中)、
スーパー耐久、
ニュルブルクリンク24時間レース、
スポーツカー世界選手権/スポーツプロトタイプカー世界選手権 (WSPC) に参戦歴がある。ほぼスバルワンメイクのカテゴリ、
FJ1600もある。
環境技術
フジマイティー(塵芥車)
[http://www.subaru-windturbine.jp/ スバル風力発電システム
風力発電
各種プラント
住宅事業
富士重工では、小型の
プレハブ住宅を製造しており、以前は
通信販売で名高い
セシールでも扱っていたことがある。
過去の商品
二輪車(スクーター)
「
ラビットスクーター」
二輪車(オートバイ)
「ハリケーン」
バス車体架装事業
ファイル:FHI Fuji-go 001.JPG/thumb/right/200px/「ふじ号」(富士TR014X-2)
ファイル:Nissann Diesel and FHI Makers plates 001.JPG/thumb/right/140px/バス車体のメーカーズプレート
1946年(昭和21年)に小泉ボデー製作所(当初別会社)でスタートし、日本で初めてのフレームレス
モノコック構造による
リヤエンジンバス「ふじ号」(
1949年(昭和24年))の開発に成功。後に富士自動車工業となり、スバル360等の開発を行い、現在の主力であるスバルブランドの乗用車にも発展した事業である。一時期は
UDトラックス/UDトラックス(旧日産ディーゼル)を中心に大型自動車メーカー4社の
バス (交通機関)/バス車体を架装し、バス車体シェア1位を誇っていたが、シャーシメーカーのバス車体内製化(子会社での生産)で生産台数が減少した。
1998年(平成10年)に
三菱ふそうと
日野自動車の架装から撤退、
2002年(平成14年)
1月に日産ディーゼルがバス車体の架装を
西日本車体工業(西工、
福岡県北九州市小倉北区)に集約することを決定したため、同年
5月に事業存続は困難と判断し、伊勢崎製作所(現在の
スバルカスタマイズ工房)で行っていたバス車体架装事業を終了する決定をした。このため、バス車体架装事業は日産ディーゼルとごく少数の
いすゞ自動車を最後に
2003年(平成15年)
3月で終えた(最終生産車は
東濃鉄道に納入された日産ディーゼル
日産ディーゼル・スペースアロー/大型観光バス)。アフターサービスはスバルカスタマイズ工房(富士重工の子会社、西工製車体のメンテも行う)にて行っている。また
ボルボ社のシャシーを輸入し、
ボルボ・アステローペ/アステローペシリーズと
連節バスを製造していたが、これらも
2000年(平成12年)に生産が終了した。
鉄道車両事業
ファイル:Builder's_plate_of_FHI_001.JPG/thumb/right/200px/東武9000系電車の車内銘板
1950年(昭和25年)頃から主に
客車と
気動車を旧
日本国有鉄道/国鉄や
JR、
私鉄、
第三セクター鉄道/第三セクター向けに、また、群馬・栃木に路線を持つ
東武鉄道向けには
電車を生産していたが、生産両数の低下により
2002年(平成14年)5月に事業存続は困難と判断し、宇都宮車両工場(現在のエコ宇都宮工場)で行っていた
鉄道車両事業を終える決定をした。
2003年(平成15年)
2月に
新潟トランシス新潟事業所(
新潟県北蒲原郡聖籠町)へ事業譲渡。
JR四国2000系気動車などの振り子式気動車はすべて富士重工製。
最後に製造された電車は
東武30000系電車(31406Fの4両)。最終製造車両は地元を走る
真岡鐵道の
真岡鐵道モオカ14形気動車/モオカ14形一般型気動車(2両)となった。
なお、先述の伊勢崎事業所でも、
東京都電車/東京都電2500形(軌間1067mmの杉並線専用車で、足回りは戦前の車両のものを利用。杉並線廃止後は車体のみ荒川線で再利用された)を製造していた。
=
生産された鉄道車両
=
気動車
南部縦貫鉄道南部縦貫鉄道キハ10形気動車/キハ101・102、
羽幌炭礦鉄道キハ11(富士重工業版レールバス)
LE-Car(バス車体の中・小型気動車)
LE-CarLE-DCシリーズ/LE-DC(ボギー台車 一般型気動車)
JR四国2000系気動車(振り子型特急型気動車)
智頭急行HOT7000系気動車(振り子型特急型気動車)等、第三セクターの特急・普通型気動車
日本国有鉄道/国鉄型気動車の一部
国鉄キハ20系気動車/20系・
国鉄キハ58系気動車/58系・
国鉄キハ45系気動車/45系・
国鉄キハ40系気動車 (2代)/40系・
国鉄キハ181系気動車/181系・
国鉄キハ183系気動車/183系(一部)・
国鉄キハ185系気動車/185系(一部)・
国鉄キヤ191系気動車/191系検測車
JR北海道キハ283系気動車(振り子型特急型気動車)
真岡鐵道真岡鐵道モオカ14形気動車/モオカ14形気動車(富士重工業最後の製造車両)
北近畿タンゴ鉄道北近畿タンゴ鉄道KTR001形気動車/KTR001形・
北近畿タンゴ鉄道KTR8000形気動車/KTR8000形
他
電車
東武鉄道
東武2000系電車/2000系・2080系
東武5000系電車/5000系・5050系・5070系
東武6050系電車/6050系
東武8000系電車/8000系
東武9000系電車/9000系・9050系
東武10000系電車/10000系・10030系・10080系
東武30000系電車/30000系
東武100形電車 (軌道)/100形(
東武日光軌道線/日光軌道線用車両)
200形(日光軌道線用車両)
営団地下鉄(現在の東京地下鉄)
営団2000形電車/2000形
東京都電2500の改造等(国鉄型特急車両の製造歴もあり)
客車
国鉄・JR関連の一部の車両等
国鉄12系客車/12系・
国鉄24系客車/24系・
国鉄50系客車/50系・
JR東日本E26系客車/E26系
貨車
私有貨車の一部の車両等
タキ2800形(
水酸化ナトリウム/苛性ソーダ専用タンク車)
タキ5450形(
液化塩素専用タンク車)
タキ7750形(
水酸化ナトリウム/苛性ソーダ専用タンク車)
タキ9800形(
石油類専用タンク車)
タキ12200形(
セメント類専用タンク車)
タキ18600形(液化
アンモニア専用タンク車)
タキ45000形(石油類専用タンク車)
ホキ10000形(
石炭専用ホッパ車)
軌道モーターカー
TMC300
スノーボード・自転車・望遠鏡
1998年(平成10年)には、宇宙関連機器および航空機部門の技術を使って、ハニカム構造オールカーボンの
スノーボード「VTOL」が少数販売された。尚、販売は
インターネットのみ50枚限定で販売された。スバルと名乗らず別ブランドで販売された。現在は販売されておらず、貴重な製品である。
2008年(平成20年)12月には、99台限定で自転車(クロスバイク)「SUBARU XB」が発売された。価格は36万円。マウンテンバイクに軽量大口径ホイールを装着して、オンロードでの走行性能を向上させた自転車で、レガシィなど富士重工の車と同様、オンロードとオフロード双方の走破性を合わせもつ自転車として「クロスバイク」と呼称している。
[http://www.e-saa.co.jp/seihin/bicycle/index.html SUBARU XB
2009年(平成21年)12月には、屈折式天体望遠鏡「SUBARUメローペ80A」を発売した。外部の専門メーカーと富士重内部の開発チームの共作で、スバルブランドをイメージさせるブルーで塗装されているが、車の色とはやや異なり、車のボディに比べて曲率が大きい望遠鏡の鏡筒を仕上げるために専用塗料を採用している。現在このクラスの望遠鏡は、大部分が中国製だが光学系の製作や検査をすべて日本のメーカーが行っているのが特徴となっている。「メローペ」は
プレアデス星団の最も下にある星の名称。
[http://www.e-saa.co.jp/originaldescription/seihin_in154.html SUBARU メローペ80A
キャッチフレーズ
「確かな技術を人のために」(1990年代前半)
「Driving Emotion」(1990年後半 - 2002年)
「Think.Feel.Drive」(2003年 - 2008年2月)
「Fantastic moments」[http://www.subaru.jp/50th/index.html/ →Fantastic moments with SUBARUページ(2008年3月 - 2009年)
「Confidence in Motion」(2010年11月 - )
提供している主な番組
現在
'''
日本テレビ放送網/日本テレビ系'''
ザ!世界仰天ニュース(2010年4月 - 、同業のトヨタ自動車、日産自動車も提供)
水曜ドラマ (日本テレビ)/水曜ドラマ(22:00 - 22:54迄)(
14才の母からこの時間枠の
スポンサーを
本田技研工業/ホンダから引き継いだ、当初は30秒提供であったが、2007年4月の
バンビ〜ノ!から60秒提供に昇格。2009年4月の
アイシテル〜海容〜より再び30秒提供)
金曜ロードショー(2011年10月から本編途中に放送される「Dramatic Cinema ~人生を変えた1本の映画~」に提供、かつては前半枠
ヒッチハイク (放送)/ヒッチハイク)
'''
フジテレビジョン/フジテレビ系'''
ホンマでっか!?TV(同業の
日産自動車も提供)
とんねるずのみなさんのおかげでした(ネットセールス終了後のヒッチハイク、2010年10月 - )
5LDK
人志松本の○○な話(2010年10月 - )
土曜プレミアム(前半枠
ヒッチハイク (放送)/ヒッチハイク)
'''
TBSテレビ/TBS系'''
中居正広の金曜日のスマたちへ(2009年3月に一時降板するも2010年4月より再び提供)
奇跡ゲッター ブットバース!!
'''
テレビ東京系'''
テニスの王子様 (アニメ)新テニスの王子様/新テニスの王子様(2012年1月より地上波の系列局にて順次開始、初回除く1月分のみ筆頭提供・2月分以降は各社扱い
[テレビ東京・テレビ大阪における放送。])
'''
テレビ朝日系'''
2011年8月現在なし
'''
BS日テレ'''
SUBARU Presents
キズナのチカラ(金曜22:00 - 22:30・一社提供)
過去
拳銃無宿(一社提供)
オーケストラがやってきた
愛の劇場(
2008年12月18日から
12月26日。隔日、PT扱い)
木曜ゴールデンドラマ(
讀賣テレビ放送/読売テレビ制作、初期から途中降板)
久米宏のTVスクランブル
天才・たけしの元気が出るテレビ!!(途中降板)
クイズ!当たって25%
ひみつのアラシちゃん!
水曜ロードショー (TBS)/水曜ロードショー(途中降板)
飛び出せ!科学くん(同業の
トヨタ自動車も提供)
くりぃむしちゅーのたりらリでイキます!!
TBS木曜10時枠の連続ドラマ(2007年4月から2008年3月まで。なお2008年1月から3月のドラマ『
だいすき!! ゆずの子育て日記テレビドラマ/だいすき!!』ではコラボレーションCMをオンエアしていた)
TBS土曜8時枠の連続ドラマ(2008年4月から2010年3月まで)
JNNニュースデスク
ネットワーク (ニュース番組)/ネットワーク JNN
ニュース22プライムタイム
JNNニュースデスク'88・'89/JNNニュースデスク'88 → JNNニュースデスク'89
1×1/1×1 ONE-BY-ONE(
毎日放送)
情熱大陸(毎日放送)(途中降板)
SUBARU OFFTIME CRUISE
世界ウルルン滞在記2008(毎日放送、2008年4月から番組終了(同年9月)まで)
理由ある太郎
一攫千金!日本ルー列島!
木曜洋画劇場
ウチくる!?(関東ローカル、一時期のみ)
土曜ドラマ (フジテレビ)/土曜ドラマ(一時同業の
日産自動車も提供、2007年7月、2007年9月 - 2010年3月)
ズームイン!!SUPER
ダウンタウンDX(
讀賣テレビ放送/読売テレビ制作、2011年1月 - 03月)
週末のシンデレラ 世界!弾丸トラベラー
(株)世界衝撃映像社(2011年1月 - 03月)
グータンヌーボ(
関西テレビ放送/関西テレビ制作)
脚注
関連項目
新井敏弘
桐生工業(特装車架装メーカー。過去にはサンバーを受託生産していた。現在の社長は、4代目
スバル・レガシィ/レガシィ開発主管の清水一良)
富士重工業硬式野球部
おおたコミュニティ放送/FM TARO
FJ1600
エンフィールド=ロビン・D-R400D
ジオット・キャスピタ
矢島タクシー
北宇都宮駐屯地
ディノス・レックス
サーフジェット
スバルビジターセンター
チームミヤタ
マキタ沼津
富士重工産機販売
総合太田病院(富士重工業健康保険組合が開設・看護学校も併設)
百瀬晋六(ももせ しんろく)
ステラタウン(富士重工業旧大宮製作所跡地に出来た大型ショッピングモール。この土地は中島飛行機時代から使われており、富士重工にとって由緒ある場所である。)
:en:subaru/subaru - 英語版 Wikipedia
:en:Flat engine/Flat engine - 英語版 Wikipedia
外部リンク
http://www.fhi.co.jp/ 富士重工業株式会社
http://www16.plala.or.jp/caw99100/FHIbus/ 富士重工製路線バスのページ
http://www.kiryu-kougyo.co.jp/ 桐生工業株式会社
http://home.arcor.de/goep/P1.htm All Subaru cars since 1954 with pictures and timeline
http://www.subaru.com/ Subaru of America
http://rally.subaru.com/ Subaru Rally Team USA
http://www.travis-pastrana.com/ Travis Pastrana - Official Site
http://www.kenblockracing.com/ Ken Block's Official site
Category:富士重工業/
Category:日本の鉄道車両メーカー
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Category:多国籍企業
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