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- 概要
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- 歴史
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- 企業理念
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- 沿革
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- 過去
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- 歴代社長
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- その他
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- 脚注
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- 関連項目
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- 外部リンク
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概要
1889年に日豪貿易の先駆けとして創業する。時代と共にさまざまな分野に事業領域を拡大し、世界的な広がりをもつ企業として今日に至る。現在は、電子・情報技術/IT、食品・食糧、鉄鋼、機械・プラント、環境・素材を中心とした幅広い分野において国際的に業務を展開中である。
かつては十大商社(三菱商事、三井物産、伊藤忠商事、丸紅、住友商事、日商岩井、トーメン、兼松、ニチメン、安宅産業)の一角をなし、今日では七大商社(三菱商事、三井物産、住友商事、伊藤忠商事、丸紅、双日、豊田通商)に次ぐ規模の商社である。
1990年代以降に経営不振に陥った時期もあったが、IT・食品系統に注力し利益構造を強化し経営再建を実施した。
過去には東京銀行を、現在はその流れを汲む三菱東京UFJ銀行をメインバンクとしている。
歴史
創業者・兼松房治郎は自ら日本の近代化を推進すべく、大阪商船会社(現商船三井)の設立に参加、また大阪毎日新聞(現毎日新聞)を興すなど、「貿易立国日本」の礎を築いた。
明治維新後、日本の近代化が進んでいた頃、当時関西実業界のリーダー的存在として幅広く活躍していた兼松房治郎は、日本の貿易にある疑問を抱いていた。
『日本の繁栄には貿易の振興が不可欠であるのに、現状はその90%が外国商館で独占されている。本来この商権は我々が握るべきなのでは…』 そんな房治郎が注目したのがオーストラリアとの羊毛貿易。欧米文化が普及する中、毛織物需要も伸びているにも関わらず、日本人が直接海外から羊毛を輸入する事業はまだなかった。房治郎はこの初めての日本人の手による羊毛直輸入に、自ら飛び込んでいった。
1889年(明治22年)、『貿易商権を日本人の手に』の理想のもと、独力で『豪州貿易兼松房治郎商店』を開業、翌年にはオーストラリア・シドニーに支店を開設し、日本初の日豪直貿易を成し遂げた。当時、財界友人のほとんどが、実業家としての基盤も名誉も捨て、私財をなげうって挑んだこの挑戦を危険視し『兼松君狂せり』と憂う者もいた。その後大恐慌など多くの困難にも直面したが、『日豪貿易を断絶させることは何としても避けねばならない』と奔走する房治郎の熱意が周囲を動かし、兼松商店は活路を見出していった。
房治郎の没後もその遺志は引き継がれ、社会貢献事業として神戸大学に兼松記念館、一橋大学に兼松講堂、そしてオーストラリアのシドニー病院には兼松病理学研究所が寄贈された。房治郎は日豪貿易の基礎を確立しただけでなく社会的にも大きな功績を残したと言える。
敗戦直後は財閥解体の命令を受け財閥系商社を中心に分社化を余儀なくされたが、1950年以降は再び群小商社の統合が進められた。
1967年、兼松は、1891年北川与平により創業されいわゆる「関西五綿」の一社として知られる有力商社「江商」と合併、兼松江商(KANEMATSU GOSHO)株式会社として新たな発展の時代に入った。現在使われている兼松の略称『KG』は、この社名の名残である。その後、戦後の日本経済の高度成長および産業構造の転換に対応して、繊維主体から脱皮。海外現地法人・関係会社の新設或いは増強といった商社の企業基盤の強化、取扱商品の多様化など、繊維や石炭の『貿易商社』から『総合商社』へと地位を着実に固めていった。
1960年代以降、「商社斜陽論」「商社冬の時代」という言葉に象徴されるように、兼松の発展の歴史も順風満帆なものではなかった。前者は60年代にメーカーが独自の海外販売網を持つことで問屋排除が進むのではと危惧されたこと。後者は80年代に原料品市場の停滞や重厚長大から軽薄短小の時代への対応の遅れなどにより、商社の低利益が露わになった。しかし、これらの経緯はかえって商社業界全体をより柔軟にアグレッシブに変化させる契機となった。
東西冷戦の終焉後、世界は『情報化』と『グローバリゼーション』をキーワードに大きく変化した。バブル崩壊後の日本経済は、『失われた90年代』ともいわれるように、この変化にうまく対応できなかった。1990年、兼松江商株式会社から兼松株式会社に社名を変更し、東京本社を現在の芝浦シーバンスに移転した同社にとっても、収益が思うように伸びない苦しい時代であった。
1999年5月、日本経済を巡る大きな環境変化の中、兼松は収益力の向上および財務体質の強化を柱とした『構造改革』を実施。兼松の強みが発揮できる得意分野の電子・IT、食品、食糧、鉄鋼、機械・プラント、環境・素材の分野へ経営資源を集中させた。それが実を結び、強固な経営基盤の確立と、収益性の高い営業基盤の拡大に繋がり、『兼松モデル』と称されるように復活を遂げた。
そして、2010年度からは新中期経営計画『S-project』がスタート。単純なファイナンス取引や投機的取引は回避し、実業の裏づけがある取引に注力。今まで同社とともに歩みを共にしてきたお客様とともに既存商権の強化を推進し、また、開発・提案型のビジネスをより積極的に展開することで、誰もがまだ手をつけてこなかった分野を開拓し新規ビジネスの創出を図る「事業創造集団」を目指すことを決めた。
企業理念
以下をスローガンとしている。
1. 創業主意
わが国の福利を増進する分子を播種栽培す
2. われらの信条
伝統的開拓者精神と創意工夫をもって業務にあたり、適性利潤を確保し企業の発展を図る
会社の健全なる発展を通じて、企業の社会的責任を果し、従業員の福祉を増進する
組織とルールに基づいて行動するとともに、会社を愛する精神と、社内相互の人間理解を基本として、業務を遂行する
沿革
旧 兼松株式会社
1889年(明治22年)8月 - 兼松房治郎、兵庫県神戸市に羊毛の輸入を目的として豪州貿易兼松房治郎商店を創業。
1913年(大正2年)5月 - 兼松合資会社に改組。
1918年(大正7年)3月 - 株式会社兼松商店に改組。
1919年(大正8年)2月 - 創業30周年、兼松房治郎7回忌に当たり第1回記念事業として神戸高商(現神戸大学)に商業研究所“兼松記念館(1921年竣工)”と兼松貿易研究基金300千円を寄贈。
1925年(大正14年)8月 - 兼松房治郎13回忌に当たり第2回記念事業として一橋大学/東京商科大学(現一橋大学)に“兼松講堂(1927年竣工)”を寄贈。
1929年(昭和4年)2月 - 創業40周年、兼松房治郎17回忌に当たり第3回記念事業として豪州Sydney病院に“兼松病理学研究所(1933年竣工)”を寄贈。
1943年(昭和18年)2月 - 兼松株式会社(英文社名:Kanematsu&Co.,Ltd.)に商号変更。
1951年(昭和26年)4月 - 米国にKanematsu NewYork,Inc.を設立(戦後日本商社初の現地法人)。
1961年(昭和36年)1月 - 東京・大阪両支店を支社に。
1961年(昭和36年)10月 - 大阪証券取引所2部に上場。
1963年(昭和38年)8月 - 大阪証券取引所1部に上場。
江商株式会社
1891年(明治24年) - 近江出身の北川与平が輸入綿糸の取り扱いを目的として神奈川県横浜市に北川商店を創業。
1898年(明治31年) - 本店を兵庫県神戸市に移転。
1905年(明治38年)12月 - 江商合資会社に改組。本店は大阪市東区 (大阪市)/東区。
1917年(大正6年)1月 - 江商株式会社(英文社名:Gosho CO.,LTD.)に改組。
1918年(大正7年)3月 - 日本の商社で初の米国現地法人Gosho Corporationを設立。
1943年(昭和18年)3月 - 昭和綿花株式会社を合併。
1946年(昭和21年)12月 - 江商従業員組合結成。
1947年(昭和22年)9月 - 衣料部を分離して株式会社佐々木営業部(後の株式会社レナウン (企業)/レナウン)を設立。
1949年(昭和24年)5月 - 東京・大阪両証券取引所に上場。
1960年(昭和35年)8月 - 常務会を設置。東京支店を東京支社に。
兼松江商株式会社
1967年(昭和42年)4月 - 兼松株式会社を存続会社として江商株式会社と合併、兼松江商株式会社(英文社名:Kanematsu-Gosho LTD.)発足。
1970年(昭和45年)12月 - 東京支社を東京本社にする。
1973年(昭和48年)4月 - 東京証券取引所・名古屋証券取引所各1部に上場。
兼松株式会社
1990年(平成2年)1月 - 創業100周年を期し、兼松株式会社(英文社名:KANEMATSU CORPORATION)に商号変更。
1999年(平成11年)5月 - 337億円の減資と取引行による約1,500億円の債権放棄を柱とする「構造改革計画」を発表し、“第二の創業”に取り組む。
2010年(平成22年)7月 - 大阪証券取引所上場廃止。
2010年(平成22年) - 中期経営計画"S-Project"(第117期~第119期)スタート。
兼松グループ
兼松エレクトロニクス
日本オフィス・システム
兼松コミュニケーションズ
兼松グランクス
兼松エアロスペース
Kanematsu Global Technology Solutions
兼松食品
兼松ソイテック
兼松アグリテック
兼松トレーディング
協和スチール
永和金属
兼松合利有限公司
兼松KGK
兼松ペトロ
兼松ケミカル - モーターオイルバルボリン/Valvolineの日本総代理店
兼松ウェルネス
ミラクール
兼松繊維
カネヨウ
P.T.Century Textile Industry
新東亜交易
兼松ロジスティクスアンドインシュアランス
兼松日産農林
ホクシン
過去
兼松スポーツ(アディダスブランドのスポーツ用品日本販売代理店。その後デサントを経て、現在は自社日本法人の「アディダスジャパン」として販売している)
歴代社長
初代 兼松房治郎
清川正二
小田啓二
鈴木英夫
倉地正
三輪徳泰
下嶋政幸
その他
2011年、大阪国税局の税務調査を受け、2009年3月期までの5年間で約2億5千万円の申告漏れを指摘され、約1億5千万円については所得隠しと認定された。ベトナム国営造船ビナシンとの取り引きにおける支払い費用の計上方法の考え方の違いが原因だが、国税局の指摘に従い兼松は修正申告および追徴税の納付を実施した[[http://www.47news.jp/CN/201102/CN2011020901000239.html 兼松2億5千万円申告漏れ ベトナムの受注工作めぐり - 47NEWS(共同通信) 2011年2月9日][[http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/490737/ 兼松1億5千万円所得隠し ベトナム側に不透明支出 - iza ニュース(産経新聞) 2011年2月9日]。
脚注
関連項目
清川正二 - 元社長。スポーツ選手(ロサンゼルスオリンピック (1932年)/第一回ロス五輪金メダル。国際オリンピック委員会/IOC副委員長)。
外部リンク
http://www.kanematsu.co.jp/ 兼松株式会社
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Category:日本の食品産業
Category:港区 (東京都)の企業
Category:中央区 (神戸市)の企業
Category:東