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- 京王電鉄ホームページ
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- 京王電鉄、京王線、井の頭線、京王バスの案内、京王グループ各社の情報、沿線ガイド等。
- 【京王】京王線調布駅付近の地下線への切り替えに伴い、8月19日(日)一部列車を運休
- ※京王新線:新線新宿〜笹塚間、京王線:新宿〜つつじヶ丘間、飛田給〜京王八王子間および高尾山口間、京王相模原線:京王稲田堤〜若葉台間、若葉台〜橋本間で特別ダイヤで折り返し運転をするみたいです。詳しくは、京王電鉄HPのニュースリリースを見て下さい(↓)。http://www.keio.co.jp/news/update/news_release/nr120523v02/index.html
- ステンレスの良さ
- ステンレスの良さ京王電鉄9000系を見ると夕陽にはステンレスだなぁと思う。特に鏡面仕上げのようにキラキラしてるので、多少の光りも拾ってくれる感じです。
- そのとき、デワは動いた…
- 汚れたガラス越しの撮影に苦労し、周りの乗客の視線も気になる。こうして、沿線に住んでいながら、今まで一度も撮影することが出来ずにいた、京王電鉄デワ600型を記録することが出来た。今度は是非、検測列車を写してみたい。
- 1063街の中心京王八王子
- 9000形の模様の黄色と5000形の模様の紺の2本を買い求めましたが、会社創立50周年の記念グッズだったように覚えています。その50周年の年に京王電鉄は前身の京王帝都電鉄から改称されたのですが、筆者の中では未だに京王帝都のイメージが強く残っています。 京王の「京」は東京、「王」は八王子で東京都心部と八王子を結ぶ路線を表していますが、開業当初からJR中央線との旅客争奪戦を繰り広げてきました。
- 京王分倍河原駅
- 京王分倍河原駅朝一で京王八王子駅から分倍河原駅まで移動し下車、ここにわざわざきたのは出札・改札ともに京王電鉄が管理しているらしいそしてマルスPOS端末の設備がないので、当駅発着の遠距離乗車券に限り補充券で発売しているという事でここまで来たのです
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歴史
現在の京王電鉄は、元々資本の異なる旧'''京王電気軌道'''(京王線の営業をしていた会社)と旧'''帝都電鉄'''(京王井の頭線/井の頭線の営業をしていた会社)が、太平洋戦争時の戦時統制を経て発足したため、それぞれ個別に記述する。
京王電気軌道
現在の京王電鉄の歴史は、1905年(明治38年)12月12日に、'''日本電気鉄道株式会社'''が関係官庁に電気鉄道敷設を出願したことにまで遡る。なお、この時出願した路線は、現在の京王線とは路線経路が全く異なるものであった。
後に、日本電気鉄道は1906年(明治39年)8月18日に'''武蔵電気軌道株式会社'''と改称し、既に出願していた鉄道計画路線を変更した。そして、この時に出願した路線が現在の京王線の路線の経路の基となった。
その後、1910年(明治43年)4月12日に武蔵電気軌道が'''京王電気軌道株式会社'''と改称し、9月21日に資本金125万円で設立された。しかし、まだ鉄道路線は有していないため、当初の営業は1911年(明治44年)7月4日に関係官庁より許可が出た電力会社/電気供給事業のみ執り行っており、1912年(明治45年)8月から調布町・多磨村・府中町・西府村(いずれも当時の行政区分)に電気供給を行っていた。
そして、1913年(大正2年)4月8日に、東急玉川線/玉川電鉄と東京電燈から買った電力を笹塚変電所 (100キロ/kワット/W) で受けて、4月15日に笹塚駅 - 調布駅間の12.2キロの電車営業と、電車の補助機関として新宿駅 - 笹塚駅間及び調布駅 - 国分寺駅間の乗合自動車営業(バス (交通機関)/バス事業)を開始した。その後は1914年(大正3年)11月19日の京王線の京王線の新宿駅付近の廃駅新町駅/新町駅(現存せず) - 笹塚駅間の延伸を皮切りに、1915年(大正4年)5月30日には京王線の新宿駅付近の廃駅京王新宿駅/新宿追分駅(新宿3丁目付近にある追分交差点にあった駅 現・京王新宿三丁目ビルの位置) - 新町駅間が、1916年(大正5年)6月1日には調布駅 - 多摩川原駅(現・京王多摩川駅)間が、10月31日には調布駅 - 府中駅 (東京都)/府中駅間が延伸開業した。また、1923年(大正12年)5月1日には新宿駅 - 府中駅間の全線複線化も行っている。このほか、1919年(大正8年)4月には多摩川原駅前での造園事業も行った。
また、電車運転の余力の売電も行い、1914年(大正3年)10月から国分寺市/国分寺村に、1915年(大正4年)8月から国立市/谷保村・立川市/立川村に、同年10月から小平市/小平村・田無市/田無村に、同年11月から保谷市/保谷村に、1916年(大正5年)1月から昭島市/拝島村に、同年2月から昭島市/中神村他七カ村連合に、同年7月から調布市/神代村・杉並区/和田堀内村・千歳村・高井戸町/高井戸村・松原 (世田谷区)/松原村に、1917年(大正6年)3月から三鷹市/三鷹村に、同年8月から砧地域/砧村に、1919年(大正8年)4月から稲城市/稲城村に供給した。1922年(大正11年)12月に東京電燈の立川変電所から500kWの受電を開始し、1923年(大正12年)3月から狛江市/狛江村への電気供給を開始した。
一方、府中駅 - 東八王子駅(現・京王八王子駅)間は、1922年(大正11年)に設立された京王の関連会社である'''玉南電気鉄道株式会社'''によって1925年(大正14年)3月24日に営業を開始した。これは国からの補助金を得るため、府中駅 - 東八王子駅間を軌道法に基づく京王電気軌道ではなく、新たに設立した地方鉄道法に基づく新会社(玉南電気鉄道株式会社)により敷設を行ったものである。しかしながら免許路線が官営の中央本線に並行していることを理由に、京王・玉南が当てにしていた補助金は認められなかった。
その後、1926年(大正15年)12月1日に京王電気軌道が玉南電気鉄道を併合し、資本金1,290万円の会社となる。1927年(昭和2年)6月1日に玉南鉄道線(府中駅 - 東八王子駅間)を1,067mmから1,372mmへ改軌する工事が終了し、全線軌道法による直通運転を開始した。しかし、新宿駅から東八王子駅まで乗り換えなしでは行けない状況は1928年(昭和3年)5月22日のダイヤ改定まで続いた。
京王電気軌道は設立当初から資金難のために経営が不安定であったが、1928年(昭和3年)12月18日に井上篤太郎が社長兼専務に就任すると、当時あったノリタケカンパニーリミテド/森村財閥の資本系列に属すこととなる。また、資本を得たことにより、1931年(昭和6年)3月20日には、初の支線である京王御陵線/御陵線(北野駅 - 多摩御陵前駅/御陵前駅間)が開通したり、1932年(昭和7年)4月の高尾登山電鉄/高尾登山鉄道との連帯運輸の開始を皮切りに、東京山手急行電鉄/帝都電鉄、鉄道省/省線電車などとも連帯運輸を行うこととなる。また、御陵線のライバル路線であった武蔵中央電気鉄道の軌道線も1938年(昭和13年)6月1日に買収し、一旦「京王電気軌道八王子線」(後に高尾線)としていたが、翌1939年(昭和14年)6月30日をもって休止、同年廃線にしている。
後の1937年(昭和12年)2月に資本系列が森村財閥から大日本電力(甲州財閥)に移る。そのため、甲州財閥の穴水熊雄が社長に就任し、沿線の乗客誘致政策が積極化することとなる。具体的には駅名の改称であり、例を挙げるならば、京王車庫前駅→桜上水駅・上高井戸駅→芦花公園駅・多磨駅→多磨霊園駅・関戸駅→聖蹟桜ヶ丘駅・百草駅→百草園駅・高幡駅→高幡不動駅・多摩川原駅→京王多摩川駅、など観光地であることを強調する駅名にしている。これらの駅名は、観光地駅としての地位についてはともかく、現在まで引き継がれ親しまれており、一定の先見の明があった施策といえる。
また、乗合自動車事業は1938年(昭和13年)3月の武蔵中央鉄道のバス事業(八王子市街地で運行)買収を皮切りに、高幡乗合自動車株式会社(高幡不動駅 - 立川駅間で運行)と由木乗合自動車株式会社(八王子駅 - 由木(現在の京王堀之内駅・南大沢駅周辺の地域名称) - 相模原駅間で運行)の買収を行っている。
他にも、新事業として1938年(昭和13年)11月に不動産事業を開始した。
しかし、太平洋戦争の勃発で、1942年(昭和17年)前半には、陸上交通事業調整法に基づき、東京市内のバス路線の東京都への譲渡や、配電統制令により電力供給事業を関東配電株式会社(いわゆる国策会社)に譲渡することとなり、経営に大打撃を与える。そして、1944年(昭和19年)5月31日には陸上交通事業調整法に基づき東京西南地区の私鉄は1つに統合されることとなり、大株主であった大日本電力は、長年京王電気軌道と競合関係にあった東京急行電鉄へ株式を譲渡することとなり、いわゆる大東急の一員となる。
=年表
=
1905年(明治38年)12月12日 日本電気鉄道株式会社が関係官庁に電気鉄道敷設を出願する。
1906年(明治39年)8月18日 日本電気鉄道株式会社が武蔵電気軌道株式会社に改称する。
1910年(明治43年)
4月12日 武蔵電気軌道株式会社が京王電気軌道株式会社に改称する。
9月21日 資本金125万円で京王電気軌道株式会社設立。
1913年(大正2年)4月15日 軌道法に基づく京王電気軌道が笹塚駅 - 調布駅間を開業。軌間1,372mm。
1914年(大正3年)11月19日 新町駅(現存せず) - 笹塚駅間が開業。
1915年(大正4年)5月30日 新宿追分駅(現存せず) - 調布駅間が全通。
1916年(大正5年)
6月1日 調布駅 - 多摩川原(現・京王多摩川)駅間が開業。
9月1日 調布駅 - 飛田給駅間が開業。
10月31日 飛田給駅 - 府中駅間が開業。
1922年(大正11年) 玉南電気鉄道が設立される。
1925年(大正14年)3月24日 地方鉄道法に基づく玉南電気鉄道が府中駅 - 東八王子駅間を開業。軌間1,067mm。
1926年(大正15年)12月1日 京王電気軌道が玉南電気鉄道を合併する。
1927年(昭和2年)
6月1日 玉南が開業した区間を1,372mm軌間に変更し、軌道法適用とする。
12月17日 下仙川(現・仙川) - 調布間を甲州街道北側から南側の現在線に付け替え。
1928年(昭和3年)5月22日 新宿駅 - 東八王子駅間の直通運転を開始。
1931年(昭和6年)3月20日 御陵線(北野駅 - 御陵前駅間)が開通。
1938年(昭和13年)6月1日 御陵線のライバル路線であった武蔵中央電気鉄道を買収、八王子線(横山車庫前駅 - 高尾橋駅間、後に高尾線と改称)となる。
1939年(昭和14年)
6月30日 高尾線を休止。
12月1日 高尾線を廃止。
1944年(昭和19年)5月31日 陸上交通事業調整法により、東京急行電鉄に統合され、いわゆる大東急の一員となる。
帝都電鉄(小田原急行鉄道時代も含む)
一方、井の頭線は、鬼怒川水力電気系列の'''帝都電鉄株式会社'''が同社の渋谷線として1933年(昭和8年)8月1日に渋谷駅 - 井の頭公園駅間を開業させ、1934年(昭和9年)4月1日に吉祥寺駅まで全通させたものである。
元々、同社は1928年(昭和3年)9月24日に設立された鬼怒川水力電気系列の'''東京山手急行電鉄/東京山手急行電鉄株式会社'''がそもそもの母体である。1930年(昭和5年)11月15日に'''東京郊外鉄道株式会社'''と社名を変更して、1931年(昭和6年)2月1日には1927年(昭和2年)7月に設立されていた'''渋谷急行電気鉄道株式会社'''を合併し、同社が計画中の渋谷線を継承した。そして、1933年(昭和8年)1月19日に帝都電鉄株式会社に改称した。理由は1932年(昭和7年)10月1日に沿線町村のほとんどが東京市に合併されたことにより、「郊外」の社名がふさわしくなくなったからとされている。
また、同社は1935年(昭和10年)には乗合自動車事業も開始したが、1940年(昭和15年)5月1日付けで同じ鬼怒川水力電気系列の小田急電鉄/小田原急行鉄道株式会社に合併され、小田原急行鉄道帝都線となる。さらに1941年(昭和16年)3月1日には親会社である鬼怒川水力電気が小田原急行鉄道を合併し、'''小田急電鉄株式会社'''に改称、小田急電鉄帝都線となる。そして1942年(昭和17年)5月1日には陸上交通事業調整法の趣旨に則り、小田急電鉄株式会社は京浜急行電鉄/京浜電気鉄道株式会社と共に東京横浜電鉄株式会社に合併し、'''東京急行電鉄/東京急行電鉄株式会社'''(いわゆる大東急)の一員となり、小田急電鉄帝都線は、東急井の頭線に改称される。
なお、大東急になる前の小田急電鉄は、主軸の電力部門を電力国家管理政策に基づき国家へ取り上げられた上、中華民国の山東半島への鉱業進出が裏目に出て経営が悪化し、先行きが暗かった。加えて、経営者である利光鶴松が高齢を理由に、小田急の経営一切を自分が見込んだ東京横浜電鉄の五島慶太に託して引退。事実上同社に身売りした。当然この背後には陸上交通事業調整法に基づく戦時交通統制があるが、小田急電鉄の場合、京王電気軌道と異なりあくまで自主的に統合に加わったのであった。
=年表
=
1927年(昭和2年)7月28日 渋谷急行電気鉄道株式会社が設立される。
1928年(昭和3年)9月24日 東京山手急行電鉄株式会社が資本金3,400万円、利光鶴松代表の下で設立される。
1930年(昭和5年)11月26日 東京山手急行電鉄株式会社が東京郊外鉄道株式会社に改称する。
1931年(昭和6年)
2月1日 東京郊外鉄道株式会社が渋谷急行電気鉄道株式会社を合併し、資本金3,800万円になる。
7月 東京郊外鉄道渋谷線(渋谷駅 - 吉祥寺駅間)の工事が着工する。
1933年(昭和8年)
1月19日 東京郊外鉄道株式会社が帝都電鉄株式会社に改称する。
8月1日 帝都電鉄渋谷線として渋谷駅 - 井の頭公園駅間開業。
1934年(昭和9年)4月1日 井の頭公園駅 - 吉祥寺駅間が開業した。
1935年(昭和10年)4月8日 東横乗合より乗合自動車路線を譲受(大宮八幡 - 久我山駅 - 牟礼 - 武蔵小金井駅間)。
1940年(昭和15年)5月1日 帝都電鉄株式会社が同じ鬼怒川水力電気系列の小田原急行鉄道に合併される。
1941年(昭和16年)3月1日 配電統制令に基づき主業を失った鬼怒川水力電気は小田原急行鉄道を合併、同社は小田急電鉄と改称する。
1942年(昭和17年)5月1日 京浜電気鉄道と共に東京横浜電鉄に合併し、東京急行電鉄(いわゆる大東急)となる。
大東急時代
太平洋戦争中、京王線も井の頭線も、大東急の路線となった。
京王線は、'''東京急行電鉄京王営業局'''によって、井の頭線は'''東京急行電鉄渋谷営業局'''によって、それぞれ営業が行われた。しかし、戦局が悪化する中、京王線・井の頭線共空襲などで様々な被害を受けた。とりわけ井の頭線は永福町検車区/永福町車庫が被災し壊滅に近い状態となった。また、京王御陵線は「不要不急線」と判断され、営業休止(事実上の廃線)に追い込まれた。
=年表
=
1942年(昭和17年)5月1日 小田急電鉄株式会社が京浜電気鉄道と共に東京横浜電鉄に合併し、東京急行電鉄株式会社が成立。小田急帝都線は東急井の頭線となる。
1944年(昭和19年)5月31日 京王電気軌道株式会社が東京急行電鉄株式会社に合併される。
1945年(昭和20年)
1月21日 東急御陵線(北野駅 - 多摩御陵前駅間)を休止。
5月頃 代田連絡線(代田二丁目(現・新代田) - 東急小田原線(現・小田急小田原線)世田ヶ谷中原(当時被災休止中、現・世田谷代田駅/世田谷代田))使用開始。
8月15日 京王線全線を軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく鉄道に変更を申請。
10月1日 京王線全線が地方鉄道法に基づく鉄道となる。
1947年(昭和22年)12月26日 東京急行電鉄株主総会が実施され、東京急行電鉄株式会社から京王帝都電鉄株式会社・小田急電鉄株式会社・京浜急行電鉄株式会社・東急百貨店/株式会社東横百貨店が分離することが決定する。
京王帝都電鉄へ
太平洋戦争も終結し、京王線と井の頭線は、'''京王帝都電鉄株式会社'''の下で営業されることとなる。
元来、沿革の異なる両線が同一会社となったのは、京王線がまだ路面電車当時の設備のままで脆弱であったこと、また戦前の京王電気軌道のもう一つの主力であった配電事業が失われてしまっていたこと、東都乗合自動車(現・国際興業バス)・藤沢自動車(現・神奈川中央交通)・中野乗合自動車(現・関東バス)などのバス会社や観光事業であった京王閣などの有力系列会社が傘下から離れてしまったことなど、京王線のみの分離では戦前の京王電気軌道よりも経営基盤が弱くなり、独立が危ぶまれていたからである。
実際に井の頭線を路線に加えるように推進したのは、当時の東急京王支社長の職にあった井上定雄(後の京王帝都電鉄社長)であり、五島慶太はむしろこの案にためらったと言われる。京王線と井の頭線は沿線が重複し、合体することで強固な経営基盤が築け、また井上は帝都電鉄出身であったため、自分の案なら古巣の井の頭線の連中も十分説得できると自信を持っていたとされる。井の頭線は駅の過半数が京王線以北にあることから、多くの沿線住民にとって京王の管轄の方が便利でもあった。一方で、東急が後に発表する東急ターンパイク計画や田園都市線の延伸が小田急と競合するのを東急が嫌ったという見方もある。これは小田急関係者の反発を強めてしまうため、公式の理由にはなっていない。
東急からの譲受価格は総額5115万2800円で、東京横浜電鉄が戦前経営していた京王線以北の乗合バス路線も京王帝都電鉄が譲り受けた。このほか、初代社長に東横出身の三宮四郎が就任したこともあり(なお、新生小田急の初代社長は旧小田急出身の安藤楢六、京急初代社長は京浜電鉄出身の井田正一だった)、京王電気軌道の復活と言うよりは、新たな合併私鉄が誕生した趣きで再出発を期した。
大手私鉄の中では多角化は控えめである。それでも当初は経営状況が不安定だったが(1948年度は現在の「大手私鉄」の中でも収益は最下位であった)、1955年(昭和30年)の高尾自動車株式会社の買収を始めとしたバス事業に本腰を入れる様になると共に、1956年(昭和31年)の京王百花苑の開園や1959年(昭和34年)の京王食品株式会社(現・京王ストア)、1961年(昭和36年)の京王百貨店の設立など、沿線価値を上げる事業も開始した。
また、1960年代には、新宿地下駅の営業開始など、軌道線イメージからの脱却にも力を入れた。このほかに京王競馬場線/競馬場線・京王動物園線/多摩動物公園線・京王高尾線/高尾線・京王相模原線/相模原線の開業や、東京都交通局(都営地下鉄)都営地下鉄新宿線/新宿線との相互直通乗り入れ開始など、発展の道を歩んだ。
なお、1960年頃には、数多くの路線を建設しようとしており、立川線(富士見ヶ丘駅 - 西国立駅)、三鷹線(富士見ヶ丘駅 - 三鷹駅)、両国線(新宿駅 - 神楽坂駅 - 飯田橋駅 - 九段下駅 - 東京駅 - 日本橋駅 (東京都)/日本橋駅 - 浜町駅 - 両国駅)の3路線(路線名称は、いずれも計画時の仮称)を計画したが、いずれも実現しなかった。
1980年代にはそれほど健全な財務内容ではなかったが、経営の引き締めにつとめ、失われた10年/平成不況の過程で同業他社が不動産価格下落・流通不振・旅行低迷などに見舞われるのを尻目に、財務体質は強固なものに変わっていった。
=年表
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1948年(昭和23年)6月1日 1947年(昭和22年)12月の東急株主総会で決定した通り、京王線と井の頭線は京王帝都電鉄株式会社(資本金5000万円・従業員1,944名)の下で営業を開始する。
1949年(昭和24年)9月27日 新宿駅 - 調布駅間で急行列車の運行を開始する(京王史上初の優等列車運行開始)。
1953年(昭和28年)6月24日 株式会社京王帝都観光協会(現・京王観光)を設立し、観光事業を本格的に取り組む様になる。
1955年(昭和30年)
4月29日 競馬場線(東府中駅 - 府中競馬正門前駅間)が開通する。
7月9日 高尾自動車株式会社(現・西東京バスの一部)を買収する。
1956年(昭和31年)
2月29日 奥多摩振興株式会社(現・西東京バスの一部)を買収する。
6月16日 京王多摩川駅前に京王百花苑(1993年に閉鎖、2002年に京王フローラルガーデンAngeとして営業再開)を開園する。
1957年(昭和32年)3月 百草園を買収する。
1959年(昭和34年)9月1日 京王食品株式会社(現・株式会社京王ストア)を設立する。
1961年(昭和36年)3月10日 株式会社京王百貨店を資本金2,500万円で設立する。
1963年(昭和38年)
4月1日 新宿地下駅運用開始。当初は4線あったが、後に8両編成運用開始にあわせて3線となる。
8月4日 架線電圧を600Vから1,500Vに昇圧。同日京王線車両京王5000系電車/5000系の運用開始。
10月1日 新宿駅 - 東八王子駅間で特別急行列車/特急列車運転開始。
10月1日 西東京バス株式会社を設立する。
12月11日 東八王子駅を新宿方に120m移転し、京王八王子駅と改称。
1964年(昭和39年)
1月25日 井の頭線車両京王3000系電車/3000系が1963年(昭和38年)度ローレル賞を受賞する。
4月21日 京王線開業以来の運行上のネックであった中河原駅 - 聖蹟桜ヶ丘駅間の多摩川鉄橋が複線となる。
4月29日 多摩動物公園線(現・動物園線、高幡不動駅 - 多摩動物公園駅間)が開通する。
7月18日 京王線車両5000系が1964年(昭和39年)度ローレル賞を受賞する(2年連続の受賞)。
1966年(昭和41年)3月31日 関東交通株式会社と関東タクシー株式会社を買収し、タクシー事業へ進出する。
1967年(昭和42年)10月1日 高尾線(北野駅 - 高尾山口駅間)が開通する。同時に新宿駅 - 高尾山口駅間の特急列車運行開始。
1968年(昭和43年)
1月1日 特急「迎光号」が新宿駅 - 高尾山口駅間の運行を開始する(毎年正月のみ運行)。
5月11日 京王線に関東の通勤車では初、ロングシート車では日本初の冷房装置付き車両が入線、運行開始。
1969年(昭和44年)
2月25日 井の頭線に冷房装置付き車両が入線、運行開始。
4月10日 京王プラザホテル/株式会社京王プラザホテルを設立する。
1971年(昭和46年)
4月1日 相模原線の京王多摩川駅 - 京王よみうりランド駅間が開通する。
12月15日 井の頭線で急行列車運行開始。
1972年(昭和47年)5月29日 御岳登山鉄道/御岳登山鉄道株式会社を傘下に収める。
1974年(昭和49年)
6月1日 全駅に自動券売機設置が行われる。
10月18日 相模原線の京王よみうりランド駅 - 多摩センター駅/京王多摩センター駅間が開通する。
1977年(昭和52年)11月 在籍車両が500両を突破する。
1978年(昭和53年)10月31日 京王新線(笹塚駅 - 新線新宿駅間)が開通し、新宿駅 - 笹塚駅間が別線線増の形で複々線化される。
1980年(昭和55年)3月16日 京王線・都営新宿線の相互乗り入れを開始する。
1984年(昭和59年)
3月21日 井の頭線が3000系で統一され、車両冷房化率100%となる。
3月31日 京王・井の頭線全線の手・小荷物取り扱いを廃止する。
1988年(昭和63年)
3月14日 本社を新宿三丁目から聖蹟桜ヶ丘駅前に移転。
5月21日 相模原線の京王多摩センター駅 - 南大沢駅間が開通する。
1989年(平成元年)11月24日 現在使用している「''KEIO''」のコーポレートアイデンティティ/CIシンボルマークが制定され、以後車両や駅などにこのロゴが貼り付けられる。
1990年(平成2年)
3月20日 相模原線の南大沢駅 - 橋本駅 (神奈川県)/橋本駅間が開通し、全線開通。
4月16日 八王子市堀之内の京王研修センター内に京王資料館(通常一般非公開)を開設する。
1992年(平成4年)
5月28日 相模原線で特急列車運行開始(2001年(平成13年)3月26日まで)。
10月1日 京王線車両京王8000系電車/8000系が通商産業省(現・経済産業省)のグッドデザイン賞/グッドデザイン商品に選定される。
12月26日 京王線の車両冷房化率が100%となり、全線冷房化が完了。
1994年(平成6年)
4月1日 全駅で喫煙所を除き禁煙化を実施。
5月 京王線全線で弱冷房車を導入する。
1996年(平成8年)
1月9日 井の頭線車両京王1000系電車 (2代)/1000系が運用開始。
6月 井の頭線全線で弱冷房車を導入する。
12月1日 京王線車両5000系が引退。
1997年(平成9年)6月2日 公式ウェブサイト/公式サイトを開設する(当初、ドメイン属性が異なっている場合でも同一名称を認めないというドメイン取得ルール(第三レベルドメイン重複制限)により、keio.ac.jp(慶應義塾大学)が存在したためにkeio.co.jpが使用できなかった)。
1998年(平成10年)7月1日 会社設立50周年を機に京王帝都電鉄株式会社が京王電鉄株式会社に改称する。
京王電鉄
1998年(平成10年)7月、京王帝都電鉄は、会社設立50周年記念として、'''京王電鉄株式会社'''へ改称した。
路線開通などはないものの、連続立体交差事業の推進を働きかけたり、パスネット、PASMOの導入で積極的に機器の導入を行なう、待合室や新型ベンチを早くから導入するなど、「乗客が利用しやすい鉄道」を目指している。
=年表
=
1998年(平成10年)7月1日 会社設立50周年を機に京王帝都電鉄株式会社から京王電鉄株式会社に改称する。
1999年(平成11年)
7月28日 競馬場線にてワンマン運転を開始する。
9月17日 4月1日の労働基準法改正に伴って京王史上初の女性車掌が井の頭線に誕生する(太平洋戦争の男子職員不足から動員された女子職員を除く)。
2000年(平成12年)
1月19日 日本初の取り組みとして、京王電鉄と中央化学/中央化学株式会社が共同開発した、使用済み定期乗車券を材料とするベンチを製造し、新宿・府中・聖蹟桜ヶ丘の各駅に設置し、その後各駅に順次設置された。
3月24日 多摩動物公園駅前に京王れーるランドを開園する。
6月18日 日本初の取り組みとして、本物の電車を利用してフリーマーケットを実施する「電車DEフリマ」が開催される。
8月21日 日本初の取り組みとして、電車内の優先席付近で携帯電話の電源を切ってもらう啓発運動を開始する。
10月14日 鉄道共通カードシステム「パスネット」の稼動を開始。また同時に関東初の取り組みとしてパスネットを2枚投入できる「精算機能付き新型自動改札機」を全駅に設置する( - 2001年5月30日)。
12月7日 - 12月22日 「女性専用車両」の試行が深夜時間帯の臨時列車にて行われる。
2001年(平成13年)
1月24日 京王線車両京王9000系電車/9000系が運用開始。
3月 全列車に「転落防止幌」を設置する。
3月27日 その他特記事項/ダイヤ改定が実施され、京王線平日深夜時間帯に「女性専用車」が導入される。相模原線の特急が急行に種別変更され、準特急が新宿 - 高尾山口間を中心に運行されるようになった。
6月22日 京王線に史上初の女性車掌が登場する。
10月1日 京王線車両9000系と飛田給駅舎が(財)日本産業デザイン振興会のグッドデザイン賞を受賞する。
11月6日 国土交通省より認定鉄道事業者の認定を受ける(JR以外の企業では史上初)。
2002年(平成14年)
3月 「列車運行情報サービス」を開始する。
8月1日 京王電鉄バス/京王電鉄バス株式会社に京王電鉄が所有していたバス事業に関する経営権を引き継がせる。これにより京王電鉄自体はバス事業から撤退する。
10月 京王線車両の車体の帯を「臙脂帯」から現行の「ピンクと紺色の2色帯」に統一する。なお、鋼製車の車体の地の色はグリーン車の消滅した1984年(昭和59年)以来全車アイボリー地、ステンレス車は無塗装(先頭部を除く)である。
12月21日 主要駅にて「無線LANサービス」を開始する。
2003年(平成15年)
3月25日 全駅に新型自動券売機を設置する。これに伴い定期乗車券/定期券を発行できるサービスを開始する。
5月1日 健康増進法施行に伴い全駅において「終日全面禁煙」となる。
2005年(平成17年)6月29日 英文社名をKeio Electric Railway Co.,Ltd.から'''Keio Corporation'''に変更。
2006年(平成18年)
1月23日 従来より設置していた「優先席」の数を増設し、同時にその周辺を「おもいやりぞーん」とすると共につり革がオレンジ色の三角型になる。
6月 京王井の頭線1000系3次車が全般検査を受けた際、車両の両端が全席、初めて青色に統一される。
2007年(平成19年)
3月18日 ICカード乗車券PASMOを導入。同時にJR東日本などが発行するICカード乗車券Suicaと相互利用を開始。
5月17日 自動体外式除細動器 (AED) 69駅全駅に設置完了。
5月 安全対策・輸送強化の一環として、2010年度までに自動列車制御装置/自動列車制御装置 (ATC) を京王線全線に導入することを発表(ATC導入自体は2006年度の事業計画で発表済み)。
2008年(平成20年)
1月10日 パスネットの発売を終了。
3月14日 自動改札機でのパスネット利用を中止。
3月15日 PASMO電子マネーのサービスを開始。
2010年(平成22年)3月26日 相模原線にてATCの使用を開始。
2011年(平成22年)
3月13日 - 京王線車両京王6000系電車/6000系が引退。
10月2日 - 京王線・京王新線・競馬場線・動物園線・高尾線にてATCの使用を開始。
12月5日 - 井の頭線車両3000系が引退。
路線
京王電鉄は、6路線84.7kmの鉄道路線を有するが、先述した通り、大きく分けて京王線系統と井の頭線の2つのグループから成っている。1975年(昭和50年)5月に阪神電気鉄道が阪神北大阪線/北大阪線・阪神国道線/国道線・阪神甲子園線/甲子園線を廃止するまで、当時の京王帝都電鉄の営業キロ75.8kmは、大手私鉄の中で営業キロ数がもっとも短かった。
ファイル:Keio-Stationmap.svg/thumb/none/500px/停車駅表
ファイル:京王電鉄050.jpg/thumb/none/500px/にのせた京王電鉄の路線
京王線系統
京王線系統の軌間は1,372mmのいわゆる「狭軌馬車軌間/馬車軌間」である。これは京王線系統の元となった京王電気軌道が地方鉄道法ではなく軌道法によって建設されたことに起因する。つまり、京王線は路面電車由来の路線であり、これが都電荒川線や東急世田谷線といった軌道法に準拠して建設された鉄道と同様の軌間を持つ理由である。
なお、この軌間を持った大手私鉄は過去には京成電鉄と京浜急行電鉄(当時は京浜電気鉄道)が存在した。これも軌道線を出自に持つ鉄道である。いずれにしても、これらは馬車軌間であった東京都電車/東京市電への乗り入れを考慮しての軌間の選択ということができる。ただし京王線と東京市電の接続はなかったが、戦時中に下高井戸駅で現東急世田谷線(当時は東急玉川線/玉川線支線)と京王線を接続して物資輸送を行ったことがある。
関東大震災時に車両が大量に被災した横浜市電向けに京王電軌より旧型単車車両の譲渡が行われているが、当時馬車軌間で共通していた京王電軌 - 東京市 - 京浜電鉄 - 横浜市の間で自走により回送された記録がある。この際も東京市側に車両を転線するには、両線の線路の接近した交差点で惰性を付けて道路上を走らせ(脱輪させ)転線したという。
1950年代になり、監督官庁からの要請や、都営新宿線乗り入れに向けて標準軌 (1,435mm) に改軌することも検討され、1960年代に製作された京王5000系電車/5000系や京王2000系電車/2010系車両は、標準軌対応台車の採用など、標準軌への改軌を考慮した設計がされていた。実際京成電鉄では都営地下鉄浅草線/浅草線との直通のため改軌を行ったが、一方で京王では莫大な費用が掛かることや、長期の輸送力低下を必要とし、仮に夏期休暇時などの輸送需要が低下する時に施工したとしても需要を満たすだけの輸送力を確保できないなどの問題点もあり、実現は困難であった。そのため、都営新宿線を京王線に合わせて1,372mm軌間で建設することになった。
=現有路線
=
京王線:新宿駅 - 京王八王子駅 (37.9km)
京王新線:笹塚駅から新線新宿駅を経て都営地下鉄新宿線/都営新宿線へ直通運転する京王線の別線(複々線)。
京王相模原線/相模原線:調布駅 - 橋本駅 (神奈川県)/橋本駅 (22.6km)
京王競馬場線/競馬場線:東府中駅 - 府中競馬正門前駅 (0.9km)
京王動物園線/動物園線:高幡不動駅 - 多摩動物公園駅 (2.0km)
京王高尾線/高尾線:北野駅 (東京都)/北野駅 - 高尾山口駅 (8.6km)
=廃止路線
=
京王御陵線/御陵線:北野駅 - 多摩御陵前駅(6.2km)(北野駅 - 山田駅 (東京都)/山田駅間は現・高尾線と同じ路線)- 1945年1月21日休止、1964年11月26日廃止
武蔵中央電気鉄道/高尾線(軌道線):八王子駅前駅 - 高尾橋駅、東八王子駅前駅 - 横山町駅(計8.4km)- 1939年6月30日全線廃止
井の頭線系統
帝都電鉄に由来する井の頭線の軌間は、狭軌の1,067mmである。
=現有路線
=
京王井の頭線/井の頭線:吉祥寺駅 - 渋谷駅 (12.7km)
=廃止路線
=
代田連絡線:代田二丁目駅(現・新代田駅) - 世田谷代田駅(営業キロ不明)- 1952年頃使用停止
車両
車体
京王線・井の頭線とも通勤・通学輸送に特化している事情から、1948年の発足以来、導入車両はすべて鉄道車両の座席ロングシート/ロングシート車のみである。戦前、京王電軌時代には鉄道車両の座席クロスシート/クロスシート車として京王電気軌道150形電車/150形(後のデハ2150形)が運用されていたが、戦中/戦時中にロングシートに改造された。また京王5000系電車/5000系にも特急車両としての設備からボックス席を設ける構想が何度かあったが、ラッシュ対策で見送りになっている。所有車両が全車ロングシートなのは大手私鉄では京王電鉄だけである。[京王電鉄に存在しない有料列車用車両を除外すれば、他に京成電鉄の車両が全車ロングシートである(一時期試作的にクロスシートが設置されたことはある)。ただし、他社の一部クロスシート車の乗り入れがある。]
現在の京王線と井の頭線では形式・車両デザインとも共通性がないが、かつて一時期、共通性が発生したことがあった。井の頭線用の京王デハ1700形電車/1700形・京王デハ1710形電車/1710形・京王1800系電車/1800系の一部が1965年(昭和40年)頃から京王線に転用されたことがあるほか(現在は廃車)、1957年に登場した初の高性能車である井の頭線京王1000系電車 (初代)/初代1000系と京王線京王2000系電車/2000系では外観のデザインが同一となった(こうした展開は他社では、現在でも阪急電鉄や近畿日本鉄道に見られる)。しかし次世代形式として登場した、1962年製造の井の頭線用京王3000系電車/3000系初期車は1000系・2000系とデザイン的な流れが似ており、1963年製造の京王線用5000系も1000系・2000系とデザイン的な流れ(ドアや窓の配置)が似ていたものの、両開きドアやワイドボディに変更された3000系第3編成以降と5000系は比べても似ないほど別系統のデザインとなった。やがて京王線用の京王6000系電車/6000系などさらに次世代形式が製造されると、両線でのデザインの隔たりはいっそう大きくなった。井の頭線用に1995年から製造された京王1000系電車 (2代)/二代目1000系では、車両の仕様が京王線の京王8000系電車/8000系(1992年から製造)や京王9000系電車/9000系(2001年から製造)と近くなったものの、正面デザインや塗装においては、京王線と井の頭線はいまだ別系統の流れを歩んでいるといえる。
井の頭線は1962年という早い時期から3000系でステンレス車体を採用する一方、京王線は普通鋼車体という作り分けが長く続き、京王線でステンレス車体が採用されたのは1984年の7000系からである。こうした路線による車体鋼材の使い分けが長く行われた他の大手私鉄としては、南海電気鉄道(南海本線と南海高野線/高野線)が存在する。
技術
集電装置については、全車両がシングルアーム式パンタグラフであるが、総合高速検測車の検測用パンタグラフには下枠交差形が採用されている。1000系、3000系、8000系で長期に渡りシングルアーム形を試験搭載していた後、9000系から本格採用され、従来車に対してもシングルアーム式パンタグラフに交換した。過去には京王線系統での高速運転時の集電性向上を目的として、井の頭線3000系と京王線系統の車両でパンタグラフの交換が行われて、京王線系統はPT42形に統一してPS13形を井の頭線に集約したことがある。
京王線系統の車両は、乗り入れの都営車を含めて全先頭車に連結器密着連結器/密着連結器と連結器電気連結器/電気連結器を装備する。1967年(昭和42年)の高尾線開通に伴う分割特急開始時に5000系に装備したのが始まりである。井の頭線車両は連結器密着自動連結器/密着自動連結器を装備する。
現在使用されている車両の運転台は、乗り入れ車を含め力行4段・常用制動7段のマスター・コントローラーワンハンドルマスコン/T型ワンハンドルマスコンに統一されており、ATS照査速度(低速域を除く)が速度計の周りに表示される。9000系、1000系11編成以降の新造車は高運転台構造となっている。
京王線系統ATC化以前は、動物園線・競馬場線列車を除き、営業列車の先頭に立つ運転台には原則としてTNS(トレインナビゲーション装置)という鉄道車両のモニタ装置/ディスプレイ装置が設置されており、次の停車駅等を表示していた。この画面にはアナログ表示の時計も表示される(TNS導入の経緯については「京王8000系電車運転台/京王8000系電車」の運転台の節を参照のこと)。なお京王線は2011年10月にATCに切り替えたため使用停止、順次撤去されている。井の頭線は現在も使用しているが、ATC化後は使用停止されることになっている。
現在は、ATCの停車駅誤通過防止機能による列車種別・停車駅の表示器が設置されている。
警笛/空気笛(タイフォン)は、上りと下りで音階が異なり(他社では東武鉄道でも同様)、下りの方が高くなっている。電気笛は京王線と井の頭線で異なるタイプを使用している。
保安装置
ファイル:Keio ATC signal no2.JPG/thumb/right/250px/京王ATCの運転台の車内信号。停車駅の停止位置までのパターンが発生している状態。
かつては全線に渡って独自の自動列車停止装置/ATS(多変周式信号ATS)を採用していた。現在は井の頭線のみ使用している。日本の鉄道信号/信号現示における速度制限は、絶対停止0km/h・警戒25km/h・注意45km/h・減速70km/h、進行の5種類で、制限速度は自動列車制御装置/ATCのように速度計の外周に表示される。絶対停止で停車した場合、確認スイッチを操作することで最高15km/hで走行が可能になる。この確認スイッチは絶対停止用のもので、前方の信号機の現示が上位しても地上子を通過するまでは照査速度を変えることはできない。
運転保安度向上の一環として京三製作所製[[http://www.gikai.metro.tokyo.jp/record/kouei/d3080125.html 平成十九年東京都議会公営企業委員会速記録第九号]のATCの導入が決定し、設置工事が行われ、2011年10月から井の頭線を除く京王線系統(京王新線・相模原線・競馬場線・動物園線・高尾線を含む)全区間で使用されている(井の頭線にも今後設置する予定)。近隣の鉄道では同時期に東武鉄道も東武東上本線より順次ATC化される。
都営新宿線での(旧)ATC機器との干渉のため、インバータ制御車の新宿線への乗り入れはできなかったが、2005年5月のデジタルATC化に伴い解禁され、2006年3月よりそれまでの6000系(6030番台)8両編成、8両+2両の10両編成に加えて9000系(9030番台)の10両編成が直通運用に当たっている。
方向幕・ヘッドマーク
ファイル:Model 8020 Traffic Safety Campaign of Keio Corporation.JPG/thumb/right/200px/交通安全運動のヘッドマークを付ける8000系
過去には京王八王子駅/京王八王子行きと橋本駅 (神奈川県)/橋本行きの調布駅での分割運用も想定しており、一部車両の方向幕には「京王八王子・橋本」の表示が存在するが、実際に営業で使われたことは一度もない。
列車に取り付ける特製の方向幕ヘッドマーク/ヘッドマークの取付が、西武鉄道、京阪電気鉄道と並んで多い。年4回程度、季節に合わせた交通安全運動のヘッドマークを取付けたり、イベント開催時に特製のヘッドマークを取付けることがある。
所属・運用など
相模原線の若葉台駅、京王線の桜上水駅と高幡不動駅、井の頭線の富士見ヶ丘駅の4か所に車両基地が設けられており、桜上水駅以外のそれぞれに併設している検車区で管理・修繕を行っている。なお鉄道車両の検査/全般・重要部検査および大規模な修理や改修の業務は若葉台駅にある若葉台工場にて行っている。井の頭線車両についても富士見ヶ丘検車区内の若葉台工場富士見ヶ丘作業場で車両の機器を取り外して、車体等は富士見ヶ丘で、それ以外はトラックで陸送して若葉台で行われる。若葉台工場は京王電鉄内の事業子会社化に伴い、子会社の京王重機整備の施設としても稼動している。
前照灯は現在では終日点灯である。急行系列車(京王では各停以外の種別を優等列車とは呼ばない)では、新宿線内も含め先頭車は通過標識灯(急行灯)を点灯させる。信号システム上は「普通列車」として運行する、急行系列車の各駅停車区間では通過標識灯を消灯する。また通過標識灯が上下分離している場合、窓上が通過標識灯、窓下が尾灯であることがほとんどだが、3000系と5000系までの京王は、窓上が尾灯で窓下が通過標識灯であった。上下逆になっていた大手鉄道は京王だけである。
優先席
ファイル:Keio8251 priority-seat-zone.jpg/thumb/right/250px/「おもいやりぞーん」(8000系車内)
8000系1次車までは優先席/シルバーシートと呼称され、位置も下り方(井の頭線は上り方)の車端部だった。5両編成以下は編成内1か所、6両編成以上は編成内2か所だったが、複数編成が組み合わさった場合はこの限りではなく、例えば6両編成と4両編成が合わさった10両編成は3か所となる。
;参考(各系列ごとの設定車両)
:3000系:デハ3000形
:5000系:5713Fまではデハ5050形、5714F以降はデハ5000形
:5100系:5112Fまではクハ5850形(運転室直後の座席)、5113F以降はデハ5150形
:6000系:2両編成はデハ6400形、3両編成と5両編成は上り方2両目、8両編成は上り方2・5両目
:7000系:上り方2・5両目(この当時は6両編成と8両編成しか存在していない)
:8000系:4両編成は上り方2両目、6両編成は上り方2・5両目
8000系2次車より、各車両に設置されるようになった。この頃より、シルバーシートから優先席へと呼称が変更されている。同時に車外のステッカーも当該部分の窓上(7000系と8000系は車端部)から当該部分の戸袋とドアの間に変更されたため、サイズも小さくなっている。設置場所も現在と違って、奇数号車は上り方海側(下り列車の進行方向左手サイド)車端部、偶数号車は下り方山側(下り列車の進行方向右手サイド)車端部である[ちなみに直通する東京都交通局の車両では、以前から優先席の位置は2両1組で中心の連結部をはさんだ各車両の車端部(東京都交通局では全路線でこのような扱いがなされている)となっているが、こちらは奇数号車は上り方山側車端部、偶数号車は下り方海側車端部と逆になっている]。既存車も随時このパターンへと変更されたが、当然のことながら3両編成・5両編成ではパターンが異なる。
2000年8月より、優先席付近を携帯電話OFF区域とするのに合わせて、従来の優先席の向かいの座席も優先席となる。
2006年1月から優先席を先頭車の運転台部分を除く各車車端部に拡大し、同時に優先席付近一帯を「おもいやりぞーん」とした。合わせて吊輪のオレンジ色化、室内側の壁や窓にステッカー貼付、車外ステッカーの拡大と位置変更(戸袋あり車両は戸袋部に貼付)が行なわれている。
女性専用車両
中央線における「婦人子供専用車」の1973年の廃止以後で、全国に先駆け女性専用車両を復活させた。2000年12月7日に試行的に導入され、2001年3月27日のダイヤグラム/ダイヤ改定以降本格的に導入された。新宿駅を23:00以降に発車する急行系の列車で実施されている。その後2005年5月9日からは平日の朝(新宿駅と新線新宿駅に7:30 - 9:30に到着する準特急・急行・通勤快速)・夕方・夜(新宿駅を18:00 - 22:40に発車する特急・準特急)・深夜(新宿駅を22:50以降に発車する急行・通勤快速・快速)にも拡大されている(当面は試験導入)。
防犯カメラ
警視庁などからの要請により2011年2月28日から客室内に監視カメラ/防犯カメラが設置された[[http://www.keio.co.jp/news/update/announce/nr110216v02/index.html 車内防犯カメラシステムの試験導入について(2月28日〜)京王電鉄][[http://www.asahi.com/national/update/0216/TKY201102160335.html 京王電鉄、車内に防犯カメラ導入 痴漢対策、28日から - 朝日新聞 2011年2月17日配信、2月18日閲覧]。通勤用車両では埼京線の国鉄205系電車/205系電車、横浜新都市交通2000形電車についで、3番目の事例である。防犯カメラは京王7000系電車/7000系電車の1編成の6号車に4機設置され、3月下旬からさらにもう1編成にも設置され、2編成で防犯カメラが運用されている。
現用車両
2011年12月現在、事業用車を除くと京王線用698両、井の頭線用145両、計843両を保有する。各系列の詳細、使用線区、運用などについてはそれぞれの記事を参照されたい。
近い将来全車両の可変電圧可変周波数制御/VVVFインバータ制御化が予定されている。
=京王線系統
=
営業用
京王9000系電車/9000系
京王8000系電車/8000系
京王7000系電車/7000系
事業用
京王6000系電車事業用車デワ600形/デワ600
京王チキ290形貨車/チキ290
京王クヤ900形電車/クヤ911(総合高速検測車「DAX」)
ファイル:Keio9732F SemiSpecialExp.JPG/9000系
ファイル:Keio-EC8000.jpg/8000系
ファイル:keio7711F.jpg/7000系
ファイル:Business Use Train of Keio Corporation.JPG/事業用車(総合高速検測車<左>とデワ600)
ファイル:Keio911DAX.jpg/クヤ911(総合高速検測車「DAX」)
=井の頭線
=
京王1000系電車 (2代)/1000系(2代目)
ファイル:Keio rail 1000.jpg/1000系(2代目)
過去の車両
=京王線系統
=
営業用
京王6000系電車/6000系
京王5000系電車/5000系・5070系→5100系
京王2000系電車/2000系(2代目)・2010系
京王2700系電車/2700系
京王2600系電車/2600系
京王デハ1710形電車/デハ1710形(→クハ1710形)
京王デハ1700形電車/デハ1700形
京王線中型車/京王電気軌道から継承の中型車
京王220系電車/220系
デハ2500形
京王電気軌道500号電車/デハ2500
京王電気軌道501形電車/デハ2501 - 2504
京王電気軌道400形電車/デハ2400形
京王電気軌道300形電車/デハ2300形
京王電気軌道200形電車/デハ2200形
京王電気軌道150形電車/デハ2150形
京王電気軌道125形電車/デハ2125形
京王電気軌道110形電車/デハ2110形→サハ2110形
玉南電気鉄道1形電車/デハ2000形(初代)
京王電気軌道23形電車/23形
京王電気軌道19形電車/19形
京王電気軌道13形電車/13形
東京電気鉄道1形電車/7形
京王電気軌道1形電車/1・9・15形
事業用
京王5000系電車/デワ5000系
京王2700系電車/デワ220形
京王デト2910形電車/デト2910形→デト210形
京王デニ2900形電車/デニ2900形→デニ200形
京王電気軌道19形電車/デト2900形・デワ2900形
京王チキ270形貨車/チキ270形
京王ホキ280形貨車/ホキ280形
ファイル:Keio6714F.JPG/京王初の20m級車両である6000系
ファイル:Keio5000-0.JPG/長く京王線の顔として親しまれた5000系
ファイル:Model 2000 of Keio Electric Railway.JPG/「グリーン車」の一つである2010系
ファイル:Model 2400 of Keio Electric Railway.JPG/「グリーン車」の一つであるデハ2400形
ファイル:Keio2782 811108.JPG/「グリーン車」の一つであり、日本初の高張力鋼を使用して軽量化した2700系
=井の頭線
=
京王3000系電車/3000系
京王1000系電車 (初代)/1000系(初代)
京王デハ1900形電車/デハ1900形
京王1800系電車/(デハ1400形→)デハ1800形
京王デハ1760形電車/デハ1760形→クハ1250形・サハ1760形
京王デハ1750形電車/デハ1750形→デハ1660形→デニ100形
京王デハ1460形電車/デハ1460形→デハ1560形→サハ1560形
京王1800系電車/クハ1570形→サハ1300形
帝都電鉄モハ100形電車/クハ1570形→クハ1250形→サハ1250形
帝都電鉄からの継承車
帝都電鉄モハ100形電車/クハ1550形(→クハ1570形)→クハ1200形(→サハ1200形)
帝都電鉄クハ500形電車/クハ1500形
帝都電鉄モハ100形電車/デハ1400形
ファイル:InokashirasenNew3000kei.jpg/長く井の頭線の顔として親しまれた3000系
付番方法
動力車/電動車は運転台の有無に関わらず「デハ」を用いる。これは東京急行電鉄と合併した大東急時代に定められたもので、合併した他社もほぼ同様である。なお、制御車(制御付随車)は「クハ」、付随車は「サハ」を用いる。
十位と百位は1000系(初代)・2000系(2代目)以降、以下のように分類される。
百位
0 - 4:電動車
このうち1000系(初代)・2000系(2代目)の百位0、5000系の百位1、6000系・7000系の百位4は制御電動車、および制御電動車とユニットを組む車両。
5 - 6:付随車
7 - 8:制御車
十位
0 - 4:電動車は主制御装置搭載。制御車は新宿・吉祥寺方。
5 - 9:電動車は主制御装置搭載車とユニットを組成。制御車は八王子・渋谷方。8000系までの付随車は補機搭載。ただし、例外的に5070系のデハ5070形は新宿方制御電動車。
系列によっては20番台や30番台が存在するが、それについては各系列記事を参照されたい。
車両基地
運転関係
ダイヤ
京王電鉄ではダイヤグラムダイヤ改正/ダイヤ改正のことを「ダイヤ改定」と呼ぶ。改めたダイヤグラム/ダイヤが利用者すべてに正しいダイヤとは限らない等の理由からである。長らく京王のみが「ダイヤ改定」と呼称していたが、2003年以降は京阪電気鉄道でも「ダイヤ改定」と呼称している。
現在は京王線・井の頭線で同時にダイヤ改定が行われているが、1990年代までは別々に行われたことがしばしばあった。
2006年8月31日までのダイヤにおいて、平日ダイヤと土休日・祭日ダイヤのほかに土休日・祭日シーズンダイヤも存在した。シーズンダイヤは4 - 6月・9 - 11月に設定され、都内でも貴重な自然の残る高尾山への行楽客向けや、この時期にほぼ毎週GIレースが行われる東京競馬場への観戦客向けとして利用客を見越した時間帯に臨時列車を運行していた。現行の高尾線方面のダイヤでは、土休日の下り列車はほぼ終日で新宿方面から準特急として北野駅まで運行し、北野以西各駅停車に種別変更し高尾山口へ直通する系統と京王八王子行きの準特急(北野駅の同一ホームで各駅停車高尾山口行きに接続)の交互の運転に、上り列車は早朝1本を除くほぼ終日で、高尾山口から北野まで各駅停車として運行、北野以東準特急新宿行きに種別変更し直通する系統と、各駅停車新宿行き(北野駅で京王八王子発の準特急に乗り換えることによって新宿方面に先着可能)を交互に運行するダイヤに改められている。競馬場線関係では、東京競馬開催時の一部時間帯に下り準特急列車を東府中駅に臨時停車させたり、メインレース終了後に府中競馬正門前駅発新宿行き(一部新線新宿行き)の臨時急行の運転を行っている。
以前は休日ダイヤの下り特急・急行で高幡不動で切り離しが行なわれていたため、相互の行き先の車両内を識別するため、吊り輪の色を白と緑の2色に分け、車内放送でも「前x両の白い吊り輪の車両が○○行き、後y両の緑の吊り輪の車両が●●行きです」とアナウンスしていた。
京王線系統では途中駅で種別変更を行う列車が存在する。この列車は発車時の種別で運行する区間の終点を行先として表示し、その駅に到着後に新しい種別・行先に変更する。
特急列車
ファイル:Keio8731.JPG/thumb/200px/right/「迎光EXPRESS かがやき」
ファイル:Keio-Exp-Mark.jpg/thumb/100px/right/過去に運転していた行楽特急のヘッドマーク各種
京王線と高尾線では通勤形電車/通勤車による特急(過去には相模原線も)と準特急を運転しているが、特急料金は不要である。
かつては行楽特急列車に「高尾」(高尾山口行き)と「陣馬」(京王八王子行き)の愛称を付与していたが、現在はその愛称はない。これに代わって最近では「迎光EXPRESS かがやき」が年末年始の終夜運転時に運行される。
最高速度は京王線が1971年4月に95km/hから105km/hとなったのち、相模原線が1997年12月に、京王線調布駅 - 京王八王子駅間が2001年3月にそれぞれ110km/hに引き上げられている。
運賃
大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。1997年12月28日改定。
{/ class="wikitable" style="margin-left1emtext-aligncenter;"
/-
!キロ程!!運賃(円)
/-
/初乗り4km//120
/-
/5 - 6km//130
/-
/7 - 9km//150
/-
/10 - 12km//170
/-
/13 - 15km//190
/-
/16 - 19km//230
/-
/20 - 24km//270
/-
/25 - 30km//310
/-
/31 - 37km//330
/-
/38 - 44km//350
/-
/45 - 52km//370
/}
相模原線京王多摩川 - 橋本間を利用する場合(他の区間にまたがる場合も含む)は当該区間の乗車キロに応じて以下の加算運賃がある。
{/ class="wikitable" style="margin-left1emtext-aligncenter;"
/-
!キロ程!!運賃(円)
/-
/1 - 8km//10
/-
/9 - 13km//20
/-
/14 - 16km//40
/-
/17 - 19km//60
/-
/20 - 22km//80
/}
1997年12月28日、戦後初の運賃実質引き下げを行った。特定都市鉄道整備積立金による特定都市鉄道整備事業の完了のため、積立金分を取り崩して運賃を改定したことで、実質全区間で値下げとなった。積立金の還元は2007年12月28日まで行われ、制度の趣旨からは還元終了時に通常運賃に戻す値上げを行うことで帳尻を合わせる仕組みとなっている。しかし、2006年度の会社要覧からは還元終了時に関する記述が変更され、「値上げ」の表現が使われなくなったほか、2007年12月28日を過ぎても運賃改定に関する発表はされていない。なお、運賃を据え置くことに関しては運賃制度上の申請等は不要である。運賃値下げ時と同じくして、渋谷駅の再開発費用の増大により事業費が当初計画より増加し、一定の率での値上げ要素が存在したが、その分は経営努力で補うとし、京王の判断で組み込まれなかった。
割引乗車券
京王アミューズメントパスポート
高尾山割引乗車券
都営地下鉄他社発売分/TOKYO探索きっぷ
また、山手線西側に発着する鉄道として、唯一東京地下鉄線内フリーの“○○東京メトロ”パスの発行・発売がない。
提携など
東京都交通局:京王線・相模原線・高尾線と都営地下鉄新宿線/新宿線が相互乗り入れ
グループ企業
その他特記事項
駅
京王線新宿駅の一日乗降人員は約72万人で、これはJRをのぞく日本の私鉄の中で日本一の乗降客数である。
駅係員・乗務員等に対する「サービス介助士」取得を推進している。
1970年代後半までは各駅の駅名表示板の隣接駅名の所に駅間キロ数の表示がされていたが、1980年の都営地下鉄新宿線/都営新宿線の乗り入れ開始の頃に表示板をリニューアルして廃止された。このような営業キロ数の表示は他鉄道事業者では見られない例であった。
京王線内の駅自動放送の女性アナウンスは声優の大原さやかが担当している。
駅の案内表示に関しては最近改良工事を行った駅を中心にユニバーサルデザインのピクトグラムを導入しつつある。英語の表記に関しては独特のフォントを使っている。
最近では駅名標の改良を進めており、LED照明の導入を推進している。
旅客案内ディスプレイと鉄道運行情報メール配信サービス
京王電鉄は、旅客案内ディスプレイの設置を推進している。このディスプレイの設置と並行して、鉄道運行情報メール配信サービスを開始した。京王線・井の頭線内での運転見合わせ・遅れ等の情報をあらかじめ登録したメールアドレスに送信する仕組みで、京王のウェブサイトで登録が可能。旅客案内ディスプレイは駅の改札口付近に設置され、通常時は発車標のない駅では画面に発車案内を、発車標のある駅では広告を表示し、異常事態のときは図を用いてどこの路線が運転を見合わせていて、遅れているのかを画面に表示することで旅客にわかりやすく情報を伝達することができるシステムである。このディスプレイの設置は2012年度も継続して実施し、同年度中の全駅の設置を目指している。
連続立体交差化事業
京王電鉄は他の大手私鉄に比べて交通量の多い道路との立体交差化が比較的早期に実施されている。比較的近年に建設され、全線が立体交差の相模原線と小規模な踏切1か所のみの高尾線をのぞく京王電鉄の高架駅8駅のうち、5駅は1960年代から1970年代にかけて既に高架化されている。
現在は京王線柴崎駅 - 西調布駅間と京王相模原線/相模原線調布駅 - 京王多摩川駅間において線路を地下化する連続立体交差事業が進んでいるほか、2008年度より京王線代田橋駅 - 八幡山駅間についても連続立体交差事業が新規着工準備区間として認められ、高架化が検討されている。
CM・ドラマ撮影
沿線に多くの撮影所や芸能事務所がある関係から、他の私鉄路線と比べてその方面の需要もあり、京王電鉄としての宣伝効果が期待できるという側面もあるため、京王線では色々な広告・コマーシャルメッセージ/CM・テレビドラマ/ドラマの撮影が行われている(ただし撮影数が他社より大幅に多いものの、最初に鉄道敷地内での撮影を認めたのは京王ではなく京成電鉄である。京成も特定の映画関連の撮影の需要が高い)。撮影に駅を用いる場合は、普段乗客の少ない府中競馬正門前駅や多摩動物公園駅などで行われることが多い。また、撮影用の臨時列車(回送列車を含める)を運転することもある。原則として車内や構内での撮影の場合は許可を要し、また有料であるが、特に京王が認めた場合は無料で行うことができる。
沿線にサンリオピューロランドがある関係でドアの下部に貼付しているドアステッカー/警告ステッカーには1997年からハローキティを起用している。上記のように撮影に使用された場合は版権上修正処理がなされるか、一時的にステッカーを剥がす場合が多い。
イメージキャラクター
現在PASMOと京王パスポートカード(京王グループのクレジットカード)の特典や、乗客へのマナー川柳コンテストのイメージキャラクターに、漫画家やくみつるによるイラスト(自画像が使われることもある)が用いられ、車内中吊りや駅の掲示板で見ることができる。2007年3月 - 4月にかけて展開された京王パスポートカードの広告ではウィリアム・シェイクスピア/シェイクスピア、ナポレオン・ボナパルト/ナポレオン、坂本龍馬、武田信玄など歴史上の人物に扮したイラストになっている。
その他
多摩動物公園駅前に家族向けの鉄道広報活動/PR施設として「京王れーるランド」がある。また東京都八王子市堀之内には、京王研修センターの構内に通常一般には非公開の京王資料館という、京王に関する品々を集めた資料館がある。
日本中央競馬会の重賞競走京王杯2歳ステークス、京王杯スプリングカップ(いずれも競馬の競走格付け/GII)に優勝杯(京王電鉄株式会社賞)を提供している。
脚注
関連項目
日本の鉄道事業者一覧